憲法論

2008年8月24日 (日)

天皇と日本国憲法

綺麗事保守論争(?)が繰り広げられているようですが、小生は部外者であり、どうこう言う立場ではないので特にコメントはしません。

ただ、ちょっと気になることがあって、そのことについて考えてみました。それは、“天皇”と“日本国憲法”の関係です。

日本国憲法によると、第1章が“天皇”とされていて、第1条に“天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く”と書いてあることはご存知かと思いますが、第96条の改正規定の適用除外にはなっていないため、日本国憲法を改正して国家の制度としての“天皇”を廃止することすらできてしまうのです。

小生に言わせれば、これだけで日本国憲法なんてトンデモ憲法だと思ってしまうのですが、日本国憲法の形式的解釈に拘泥する限り、国民の意思によって国家の制度としての“天皇”を廃止することができてしまうのです。

これはとんでもないことです。小生は日本国憲法そのものが無効であると考えてはいますが、現状ではこれが有効であるかのごとく存在しているので、日本国憲法を前提としても、“天皇”を廃止することができないことを理論的に説明しなければならないはずです。

そこで、ちょいとばかし考えてみたのが、以下の理論です。

例えば、表現の自由を廃止する憲法改正は可能でしょうか?

形式的には可能でしょうね。しかし、このような改正は不可能なはずです。

なぜかといえば、いろいろな説明が可能だとは思いますが、一つには自然法に反するからです。

日本国憲法のような実定法が法の根本的な法源であると考える人がいるようですが、そうではないのです。

近代法というのはキリスト教国から輸入した法制度なので日本人にはわかりにくい面がありますが、神の法→自然法→実定法という階層構造があると考えられています。

キリスト教ですから神が究極の法源であって、啓示によって与えられる神の法、理性によって把握できる自然法(要するに、神の法のうち人間の理性によって把握できるもの)、そして人が制定した実定法があると考えられているのです(詳しくはトーマス・アキナスの議論でも調べてください)。

そして、実定法というのは神の法や自然法よりも下位の法規範なので、実定法がこれに反することは許されません。

だから、表現の自由を廃止する憲法改正は、形式的には可能でも、自然法に反し、違法ということになるのです。

ここで大事なことは、憲法のような実定法が根本的な法源ではないということです。

実定法上の最高規範である憲法ですらも従わなければならないものがあるということなのです。

それでは日本について言えば、どうなるのでしょうか?

言うまでもないことですが、日本は天皇を中心とする国家です。

天照大神の孫、瓊瓊杵尊が天照大神の命を受けて葦原中国を治めるために高天原から高千穂に降り、その子孫が天皇なのです。

つまり、神話の時代から日本は天皇を中心とする国家なのです。

ですから、政治の実権は時の権力者が掌握し、数々の政変、戦乱、倒幕、敗戦などがあっても日本が統一性を維持しているのは、日本が天皇を中心とする国家だからです。


“天皇を廃止する”ということは、日本が日本でなくなることを意味しているのです。

そうであれば、憲法のような実定法は、神話の時代から脈々と続く皇室の歴史と伝統を否定することはできないのです。

憲法ごときが日本を日本たらしめている根源である天皇を廃止することは許されないのです。


ですから、日本国憲法の形式的解釈によって国家の制度としての“天皇”を廃止しても、悠久の歴史によって形成されたわが国の自然法に反し、違法であると言わなければなりません。

日本国憲法の形式的解釈に拘泥することなく、国家の歴史と本質を知るべきだと思いますね。

でも、日本国憲法を形式的に改正して国家の制度としての“天皇制”を(違法に)廃止できてしまうので、そういう事態にならないように注意すべきではありますが。


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2008年5月 3日 (土)

憲法記念日だってさ

敗戦国日本の象徴、日本国憲法なんか祝ってどうするんだといつも思うのですが、日本人は相変わらず日本国憲法がお好きなようです。

9条改正反対66%に増、賛成23%に減 本社調査
http://www.asahi.com/national/update/0502/TKY200805020272.html

3日の憲法記念日に合わせて、朝日新聞社が実施した全国世論調査(電話)によると、憲法9条を「変えない方がよい」との回答が66%にのぼり、「変える方がよい」の23%を大きく上回った。憲法改正が「必要」とする人は56%いるが、その中で9条改正を支持する人の割合は37%にとどまり、54%が「9条は変えない方がよい」と答えた。

 調査は4月19、20の両日に実施した。

 前の安倍内閣時代の07年4月に実施した調査でも、9条は「変えない方がよい」が49%で「変える方がよい」の33%を上回っていたが、今回は大きく差が広がった。

 この1年間は、安倍内閣が改憲への準備や集団的自衛権の議論を進めたほか、福田内閣のもとでもインド洋への海上自衛隊派遣をめぐる国会論戦が続くなど、9条や自衛隊の対米協力にかかわる論議が具体性を帯びた時期だった。

 一方、憲法全体について聞くと、憲法改正が「必要」とする人は56%なのに対し、「必要ない」は31%。07年調査で「必要」58%、「必要ない」27%だったのと大きな変化はなかった。

 憲法改正が「必要」と答えた人に理由を聞くと、74%が「新しい権利や制度を盛り込むべきだから」と答えた。「9条に問題があるから」は13%、「自分たちの手で新しい憲法を作りたいから」は9%にとどまった。

 また、憲法改正が「現実的な問題」と思う人は52%、「まだ先の問題」とする人は35%。07年調査ではそれぞれ59%、31%だった。「先の問題」とする人に理由を聞くと、71%が「国民の間で機運が高まっていない」を選んだ。国会で与野党の対立が深まっていることを挙げたのは19%、安倍首相が退陣したことを挙げた人は5%だった。

 衆参両院で多数派が異なるねじれ国会への評価を聞いたところ、「好ましくない」が62%を占めた。ただ、憲法を改正して衆議院の権限をさらに強めることについては、反対が58%だったのに対し、賛成は23%だった。

アサピーの世論調査がどこまで信用できるのかという点はさておき、9条は変えない方がよいとする人が49%もいるのですから驚きますね。

この人達は、紙切れに文字面並べれば世界が平和になるとでも思っているのでしょうか?

憲法9条を世界へ!などと言っている連中が日本にはたくさんいますが、それでも世界のどの国も憲法9条を採り入れたりはしません。

それがなぜなのか?なぜ世界中の国は軍隊を保有しているのか?

その程度のことも考えない人が日本人の多数派であることにあらためて驚かされます。

日本が好きで、千代に八千代に日本が続くことを祈っている小生でさえ、もう日本はあきらめるしかないのかと思ってしまいそうです。

サヨクは確信犯なので放っておけばいいのですが、ごく普通の日本人の洗脳を解くことを考えないといけませんね。

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2008年2月12日 (火)

またまた日本国憲法無効論について

あまりにも時間が経ちすぎてしまいました。もっと早く書くつもりだったのですが…。日本国憲法無効論について、また書いてみたいと思います。

日本国憲法が無効であることについては、既に書いたとおりです。

http://nonki-nihonjin.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_c7ad.html

小生の基本的な考え方なのですが、無効論はやはりシンプルで特に憲法に関心のない人にも幅広く受け入れられるものでないといけないと考えています。

そうでなければ、新憲法が国民によって承認されることはないですし、新憲法が国民によって否定されてしまう虞もあります。

ですから、なぜ日本国憲法が無効なのか、憲法にまったく関心のない人も含めて誰でもわかるように簡単に説明する必要があります。

そこで、小生は、なぜ無効なのかと問われれば、占領下で主権を行使できないときに制定させられた憲法だから無効と答え、なにか法的な根拠はあるのかと問われれば、ハーグ陸戦条約違反だと応えるようにしています。これが最もシンプルで社会に広く受け入れられる可能性があるからです。

ただし、この見解ではどのように自主憲法を制定するのかという点で、なかなか難しい面があることもまた事実です。

これに対して、新無効論という見解もあります。新無効論については、小生が説明するよりも、こちらのサイトをご覧いただいた方がわかりやすいと思います。

http://blogs.yahoo.co.jp/inosisi650

しかし、小生は新無効論の立場には立ちません。法理論的に難しいと考えているからです。

例えば、新無効論は日本国憲法を講和条約として有効と考えるのですが、日本国憲法を条約と考えるのは新無効論の論者くらいのものでしょう。条約のもう一方の当事者であるはずのアメリカだって日本国憲法を条約だとは考えていないはずです。それを日本が一方的に条約だと言ってみても、条約としての効力が認められるはずがないのです。

確かに、日本国憲法は占領下において強制されたものであり、アメリカに都合の良い憲法を制定・施行することが主権回復の条件とされており、その限りにおいて講和条約と呼んでも差し支えない実態はあったのでしょうけれども、日本国憲法を“制定すること”が主権回復の条件(≒条約)なのであって、日本国憲法そのものが条約なのではありません。

例えば、CO2の排出量を削減することを義務付ける条約を日本も締結し、これに基づいて国内法を制定したとします。このCO2の削減を義務付ける条約はもちろん条約ですが、これに基づいて制定された国内法はあくまでも国内法であって条約ではありません。

同様に、日本国憲法も、アメリカによって主権回復の条件として義務付けられたので、この点を講和条約というか講和行為と呼んでも差し支えはないと思いますが、これに基づいて制定させられてしまった日本国憲法まで条約と言ってしまうのは、言いすぎだと思います。

その他、法理論的問題点を整理したというほどではありませんが、下記の記事もご参照ください。

http://nonki-nihonjin.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_387a.html
http://nonki-nihonjin.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_9ea4.html
http://nonki-nihonjin.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_82eb.html

そして、もう一つ新無効論の問題点を付け加えさせていただきますが、やはり新無効論は広く国民の理解と支持を得るのが難しいということです。

憲法に多少なりとも関心を持つ人を含めて多くの国民は、法理論なんてどうでもいいというのが本音ではないのでしょうか。

当ブログでも、新無効論について書いてもアクセスは他の記事よりも減りますし、ランキングも上がりません。当ブログを読まれる方であれば、日本国憲法を無効だと考える方が多いと思いますが、それでも新無効論にはあまり興味がないようです。

おそらく、そういうことは専門家の間で議論でもしてくれればいいのであって、日本国憲法をどうにかするためのもっと具体的な方法を論じて欲しいと思われているのではないでしょうか。

新無効論は、賛否の前に、広く国民に理解してもらうこともできないような気がします。普通の国民は憲法論には興味がありませんから。

次に、inosisi650さんにコメントしていただいた点についても回答したいと思います。その前に、もっと早くこの記事を書く予定であったのですが、回答が遅れてしまったことをお詫びしたいと思います。

まず、帝国憲法第75条を直接適用することができないという点について。

>>帝国75条違反でもいいとは思いますが、この場合でも直接適用ではないですよね。<
>
>どうして「直接適用」ではないのでしょうか?
>75条には「憲法及び皇室典範は摂政を置くの間変更することを得ず」とあります。
>
>天皇の自発的発議の機会確保と平常時の憲法改正を確保する意味から自律的国家運営のされている「摂政を置くの間」という変局時でも変更(改正)禁止期間とされているのですから、戦争中、占>領下、外国人の発議に基づく改正断行は75条に直接違反します。
>
>「憲法及び皇室典範は外国軍隊(マッカーサー)を置くの間変更することを得ず」
>
>は当然含意しています。
>75条は憲法と皇室典範の改正禁止期間を定めてある規定で直接に適用されます。
>http://blogs.yahoo.co.jp/inosisi650/17933883.html

このような解釈をしなければならないこと自体が類推適用であることの証拠と言えるのではないでしょうか。

類推適用というのは、ある事象に適用されるべき条文の背後にある立法趣旨が別の事象にも当てはまるが、これに適用すべき条文がない場合に、当該条文を適用することを言います。

摂政を置く間には改正することができないという規定の背後にある立法趣旨が外国軍隊に占領されているときにも当てはまるので、これを適用するというのはもちろん類推適用に該当することになります。

>逆にうかがいますが、仮に類推適用だとすれば75条違反が無効原因にならないとでも?「憲法違反の憲法は無効だ!」というのは分かりにくいとでも思われるのですか?

類推適用というのは、適用すべき条文がない場合に類推するものであって、他に適用することができる条文がある場合には類推する必要がありません。

日本国憲法については、ハーグ陸戦条約という具体体に適用することができる条文があるので、類推適用する必要がありません。

次に、ハーグ陸戦法規違反が日本国憲法の無効原因になるのかという点です。

>>ハーグ陸戦条約違反ですと、条約違反→改正手続の瑕疵→日本国憲法の無効という論理になるのだとは思います。<
>
>無効という論理にはならないです。
>国際法上違法でも国内法上の違法(瑕疵)ではないからです。
>
>当時の我が国の改正版憲法の「有効の根拠」規定は帝国憲法でしょ。つまり帝国憲法に合憲であれば条約に違反していようが国内法上は瑕疵がないではないですか?ちがいますか?
>
>それも、憲法よりも下位規範である条約に違反することが、どうして国内法秩序である憲法改正行為を無効にするのですか?

憲法制定手続に瑕疵があれば、その瑕疵が条約上の瑕疵であっても、国内法上の瑕疵であっても、無効原因になり得るはずです。国内法上の瑕疵が無効原因になり得ても、条約上の瑕疵が無効原因にはなり得ない理由もありません。

また、上位の法規範と下位の法規範との間に矛盾、抵触がある場合に、上位の法規範が優先するのは当然ですが、この場合はそういう問題ではありません。

例えば、日本国憲法には改正に関する規定がありますが、具体的な改正の手続はいわゆる国民投票法(正確には「日本国憲法の改正手続に関する法律」)に定められています。

日本国憲法を改正規定に従って改正する場合にも、国民投票法に違反する手続、言い換えれば、手続に国内法上の瑕疵があるのであれば、新憲法は無効となる可能性があります(もちろん軽微な違反であれば別でしょうけど)。

同様に、帝国憲法から日本国憲法への改正手続についても、上位の法規範と下位の法規範との間の矛盾、抵触の問題ではなく、手続に条約上の瑕疵があるので無効となると解釈しています。

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2008年1月 3日 (木)

自主憲法制定

小生は、日本国憲法は無効だと考えていますが、どうも無効と主張すると様々な問題を引き起こすので、あまり声高に無効であるとは主張してきませんでした。

ですが、新無効論という見解によればそうした問題がクリアされるようです。新無効論の詳細については、inosisi650さんのブログを是非ご覧ください。

http://blogs.yahoo.co.jp/inosisi650

新無効論とは、一言で言うのは難しいのですが、あえて一言に要約すると、日本国憲法は憲法としては無効であるが、講和条約としては有効であるというものです。

しかしながら、小生は、新無効論は示唆に富んだ見解であるとは思いますが、やはり法理論的に難しいのではないかと考えています。

http://nonki-nihonjin.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_387a.html
http://nonki-nihonjin.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_9ea4.html
http://nonki-nihonjin.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_82eb.html

しかし、新無効論にケチをつけているばかりでは生産的ではないので、ここで小生の考える無効論というものを書かせていただきたいと思います。

といっても、たいした見解ではなく、結論的に言えば、四の五の言わずにさっさと日本国憲法は無効と宣言し、自主憲法を制定しろ!というなんともアバウトな見解でして、まったくお恥ずかしい限りですが(四の五の言っているのはオマエだろ!とか突っ込まないでくださいね)。

まず、なぜ日本国憲法が無効であるのかという点ですが、小生は、多くの方が主張されている通り、ハーグ陸戦条約違反と考えています。

ここで問題となるのは、日本国憲法を無効と宣言した場合、日本国憲法下において制定・施行された法令等の効力もすべて遡及的に無効となってしまい、法的安定性を害するのではないかという点です。

この点は、旧無効論が厳しく批判されていた点であるのですが、小生は大胆かつアバウトな解決策を提案したいと思います。日本国憲法下において制定・施行された法令等のうち必要なものだけ新憲法における議会が承認すればよいのです。

えっ、無効なものを承認(追認)するのはおかしい!という批判もあるとは思いますが、主権は絶対なのですから無効な法令等を承認してもかまわないはずですし、同一内容の法令等を制定・施行する権限があるにもかかわらず、日本国憲法下において制定・施行された法令等を承認(追認)する権限がないと解さなければならない理由もないはずです。

このようにして、男女共同参画社会基本法などの不要な法律は除外し、必要な法令等の効力は承認(追認)すればよいのですから、この点は問題にはならないと考えています。

しかしながら、小生の見解には重大な欠点があります。

それは、いかなる機関が日本国憲法の無効を宣言し、自主憲法を制定するのかという点です。

言うまでもないことですが、今の衆議院も参議院も日本国憲法に基づく機関であり、その権限は日本国憲法に由来するので、日本国憲法自体を無効と宣言することはできませんし、日本国憲法を無効としつつ、自主憲法を制定した場合、無効な機関が制定した憲法も無効ではないのかという問題が発生してしまいます。

この点がクリアできればいいのですが、なかなか名案が思い浮かびません。一つの案としては、やはり天皇陛下に…いや、それだと陛下を政治的に利用することになってしまいます。

なかなか難しい問題です。これが主権回復からそれほど時間が経っていないのであれば、帝国議会を召集するという方法があったのですが、あまりにも時間が経ちすぎてしまいました。

どなたか名案がございましたら、是非ご教示ください。

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2007年12月 2日 (日)

新無効論について

inosisi650さんや便利屋こと所長さんから「日本国憲法」の新無効論について、ご意見を頂戴しましたので、再び新無効論について書きたいと思います。

まず、inosisi650さんごご指摘の中で、小生が疑問に思うのは以下の部分です。

「日本国憲法」も表面上は我が国の単独行為を偽装していても、実際の具体化、内容決定は双方の妥協、つまり「合意によって」です。

これまでに明らかになってますように「日本国憲法」の出現までの実務には、憲法定立という我が国の単独行為とみえる側面と、「合意によって」具体化するという我が国と連合国との双方行為とみえる側面の両方が混在しています。

しかし、単独行為(憲法定立)としての側面は帝国憲法75条違反該当によって効力を完全否定され無効ですから、法的効力として残るのは「合意によって」の双方行為、つまり国際法上の連合国と我が国の講和(合意)としての効力だけです。

現在「日本国憲法」は帝国憲法の13条の講和大権に基づく側面のみに効力を認めることができます。これを呼ぶにあたり新無効論では講和によって、つまり「合意によって」規範性をもつ産物という意味で、講和条約と呼んでいます。

「日本国憲法」が実質的にはGHQが押し付けたものではありますが、「日本国憲法」の制定過程において、「合意によって」具体化する我が国とGHQ(連合国)との双方行為とみる側面と「日本国憲法」の定立(制定・施行)という側面があることは、そのとおりだと思います。

しかし、これをより詳細に分析するならば、「合意によって」具体化する我が国と連合国との双方行為の具体的な内容とは、我が国が「日本国憲法」を制定・施行する義務を負うことであり、その義務に基づいて、我が国が「日本国憲法」を定立したということであるはずです。つまり、「日本国憲法」そのものは、「合意によって」具体化する我が国と連合国との双方行為ではないのではないでしょうか?

平たく言ってしまいますと、アメリカだって、「日本国憲法」を制定・施行するように合意(命令)したけれども、「日本国憲法」そのものが条約とは考えていないはずです。

そして、「日本国憲法」が手続違反で無効であるとすれば、我が国は「日本国憲法」を制定・施行する義務に違反したことにより、条約違反になるだけでしょう。そうであるならば、「日本国憲法」が無効であり、制定・施行できなかった場合であっても、我が国が条約違反として連合国からその責任を追及されることがあるか否かは別として、「日本国憲法」そのものが条約として有効に成立し、しかも、それが国内法的な効力を有すると解するのは、法理論として無理があるように思えます。

この点については、南出氏も、「この憲法はGHQとの間での講和条約の一つにすぎないということです。ただ、これについては法形式への異なる規範へと転換しうるという、無効規範の他形式への転換などについて説明する必要があると思います」と述べておりますが(渡部昇一・南出喜久治著「日本国憲法無効宣言」32頁)、小生には、まだ十分な説明がなされていないように考えており、それ故、理論の深化を期待すると表明しています。

また、便利屋こと所長さんがご指摘の占領管理法として理解することができないかとのご指摘につきましても、上記の南出氏のご発言のとおり、法形式の異なる規範への転換しうるという点についての更なる説明が必要ではないかと考えています。

新無効論については、示唆に富んだ見解だとは思いますが、現時点では、法理論として難しい面があり、更なる理論の深化を期待しています。

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2007年11月24日 (土)

続・日本国憲法無効論

11月22日の日本国憲法無効論について、inosisi650さんからコメントを頂戴しましたので、小生の考えを少し述べさせて頂きます。

saratomaさん 以前便利屋さんのブログで失礼した者で、コメントさせていただきます。

>日本国にしても、講和条約の締結の相手方(アメリカなのか?連合国なのか?)にしても、「日本国憲法」を講和条約であるとはまったく考えていなかったのではないでしょうか<

6年8月全体が講和期間で戦争終結に向けた具体化合意と履行の連鎖が行われていたのが事実ではなかったですか?
http://blogs.yahoo.co.jp/inosisi650/16566077.html
日本側からみれば「日本国憲法」は独立回復に達するためにのまなければならない条件でした。(双方行為であり合意が成立してますね)連合国はあきらかの占領政策の要諦として受諾を強制しましたでしょう。わかりやすく例をあげますと「東京裁判」だって新無効論で言えば講和大権の発動による講和の要素です。(双方行為の成
分が含まれています)
講和条約といっているのは、いろんな「戦争講和」という各種の事実行為や法律行為のうち、戦争講和(双方行為)によって規範化していることからそう呼んでいるのだと思います。このリンクを参考にしてください。↓

http://blogs.yahoo.co.jp/inosisi650/19622622.html

inosisi650さんがご指摘の通り、「日本国憲法」が「制定・施行」されたのは、「講和期間で戦争終結に向けた具体化合意と履行の連鎖が行われていた」ことに間違いはないと思います。

小生の考えでは、日本が二度とアメリカに歯向かわないようにするために、日本弱体化政策の一環として、「日本国憲法」を「制定・施行」するように強制してきました。その意味でも、小生も、日本国憲法が「いろんな『戦争講和』という各種の事実行為や法律行為」の一環ではあると考えています。

ですから、「日本国憲法」を「制定・施行」することが講和の条件ではあったとは思いますが、だからといって、講和の条件であった「日本国憲法」が「講和条約」であるというのはどうも法論理的に無理があると考えています。

抽象論ではわかりにくいので、例をあげてみたいと思います。

AさんはBさんに金を貸したけれども、Bさんは資金繰りに困って返済することができなかったとします。

そこで、BさんがCさんに売掛金債権があることに目をつけたAさんは、Bさんに対して当該債権を譲渡するように強く要求してきたとします。

Bさんは、Aさんの傲慢な態度に腹が立ちましたが、借金を返せない自分が悪いと思い、当該債権を譲渡し、借金をチャラにすることでAさんと合意しました(債権譲渡契約の締結ですね)。

債権譲渡は、譲渡人(この例のBさんですね)が債務者(Cさんですね)に通知をしなければ、債務者に対抗することができないので(民法第467条)、債権譲渡契約の締結後、BさんはCさんに遅滞なく譲渡通知をする旨の合意がなされていましたので、Bさんは遅滞なく譲渡通知をしました。

さて、この場合、BさんがCさんに対して譲渡通知を発したこと自体を、債権譲渡契約の締結と解釈することはできるのでしょうか。

小生は、この譲渡通知は、債権譲渡契約上の義務の履行として発せられたとは思いますが、譲渡通知を発したこと自体を債権譲渡契約の締結と解釈することはできないと考えます。

同様に、「日本国憲法」を「制定・施行」することが、講和の条件とされており、「戦争講和」上の一種の義務の履行として「日本国憲法」を「制定・施行」させられたとは思いますが、「日本国憲法」自体を講和条約と解釈することは、難しいのではないかと考えています。

(追記)
一連の記事は、「日本国憲法」の新無効論について、法理論的に疑問があることを指摘するものであって、
「日本国憲法」が無効ではないと論じる趣旨ではありません。自主憲法制定が小生の願いであります。

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2007年11月22日 (木)

日本国憲法無効論

“Empire of the Sun 太陽の帝国”の柳生すばるさんが「日本国憲法」の新無効論を紹介されています。
http://empire.cocolog-nifty.com/sun/2007/11/post_559e.html

小生は、以前、“大東亜戦争の真実を伝える便利屋の戦史家”の便利屋こと所長さんに、新無効論についてブログで書くと約束しておきながら、そのままになってしまいましたので、この機会に小生の新無効論についての考え方を述べさせていただきますが、まずは南出氏の「日本国憲法無効宣言」を読んでいただきたいと思います。
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95%E7%84%A1%E5%8A%B9%E5%AE%A3%E8%A8%80%E2%80%95%E6%94%B9%E6%86%B2%E3%83%BB%E8%AD%B7%E6%86%B2%E6%B4%BE%E3%81%AE%E8%AB%B8%E5%90%9B-%E3%81%93%E3%81%AE%E4%BA%8B%E5%AE%9F%E3%82%92%E7%9B%B4%E8%A6%96%E3%81%9B%E3%82%88-%E6%B8%A1%E9%83%A8-%E6%98%87%E4%B8%80-%E5%96%9C%E4%B9%85%E6%B2%BB/dp/4828413464

とても読みやすい本であり、非常に考えさせられるものがあるのですが、結論として、小生は現時点では新無効論には無理があるのではないかと考えています。

新無効論は、「日本国憲法」は憲法としては無効であるけれども、講和条約としては有効であるとしています。

旧無効論では、日本国憲法を無効とするため、日本国憲法下における法律等もすべて無効となってしまい、法的安定性に欠けるのではないかとの指摘がなされていますが、旧無効論では、「日本国憲法」は憲法としては無効であるけれども、大日本帝国憲法下の講和条約としては有効であるから、「日本国憲法」下における法律等も無効とはならないとされています。

しかし、小生には、やはりこれは無理な法律構成ではないかと思えます。

というのも、新無効論は「日本国憲法」が講和条約であるとしていますが、条約だって契約の一種ですから、その解釈も契約当事者(条約締結国)の意思に従わなければならないことは言うまでもありません。

しかしながら、日本国にしても、講和条約の締結の相手方(アメリカなのか?連合国なのか?)にしても、「日本国憲法」を講和条約であるとはまったく考えていなかったのではないでしょうか。

この新無効論というのは、南出氏が主張し始めたようですが、そのこと自体、契約当事者(条約締結国)は誰も「日本国憲法」が講和条約であるとは解釈していなかったことを示していると言えるのではないでしょうか。

契約当事者(条約締結国)が、「日本国憲法」は講和条約と解釈していたのであれば、「日本国憲法」の制定・施行から何十年も経って南出氏が言い出す前に、他の人(例えば、条約締結に関与した人)が主張していたはずです。

このように考えてみると、小生には、やはり「日本国憲法」を講和条約と解釈するのは無理があるように思えます。

ちなみに、柳生すばるさんも指摘されているとおり、新無効論では、交戦権を否定する日本国憲法が施行されたのはサンフランシスコ平和(講和)条約の前であり、日本国憲法下では交戦権に属する講和条約の締結はできないはずであると主張されています。

確かに一理あるのですが、「日本国憲法」は、大東亜戦争に敗戦した日本が占領中に制定した憲法であり、大東亜戦争についての講和条約を締結することは当然に予定されていたのですから、交戦権放棄の例外として認められると解釈することもできるのであって、必ずしも決定打にはなっていないように思えます。

…などと否定的なことばかり書いてしまいましたが、心情的には「日本国憲法」無効論者なので(無効と言ってしまった場合の様々な混乱を懸念して声高には無効と言わないだけです)、今後の議論の深化に期待しています。

なんか小難しい法律の理屈論になってしまい申し訳ございません。明日は、「福田政権について その4」として、核武装と中国について書く予定です。

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2007年8月18日 (土)

左翼の護憲は嘘なんでしょ?

今の日本では、保守派が改憲を、左翼・革新が護憲を訴えているということになっているようです。誰とは言いませんが、護憲を訴える左巻きブロガーもいますね。

左翼といってもいろいろあるでしょうから、一概には言えないのかもしれませんが、左翼の護憲というのは嘘ですね。

というのも、小生の知人・友人のサヨくん(学生時代に知り合った人は左巻きばかりでした)はみんな改憲論者です。

それは、なぜか?

まず、サヨくん(サヨ子ちゃんも同じですが)は天皇制が気に入らない。

サヨくんに言わせると、天皇制が先の“侵略戦争”を引き起こしたのであり、また天皇制は封建制度の残滓であり、女性を抑圧する家父長的家族制度の象徴でもあるので、即刻解体したい。

でも、憲法を改正して天皇制を廃止しろと主張すると評判が悪いので、そういうことは声高には言いたがらないのです。

次に、サヨくんが気に入らないのは憲法第29条の財産権の保障です。

現行日本国憲法下においても日本の共産化は可能であるなどと言っている人もいるようですが、憲法第29条は明らかに私有財産制を定めているのであって、このままでは日本を共産化することはできません。

ですから、小生の知人・友人のサヨくんはみんな憲法第29条を批判しています。これを改正しないと日本を共産化することができないわけですから。

その意味では、日本共産党が護憲を訴えているのは笑い話でしかないのですが、この点については後でまた触れます。

護憲・改憲というと憲法第9条が主な争点になりますが、この点でも左翼は嘘をついていると小生は考えています。

もちろん、左翼といっても一概には言えないのでしょうけれども、左翼が日本の軍備や交戦権に批判的なのは、日本がアメリカ(自由主義・資本主義)の陣営に属しているからです。

サヨくんに言わせると、アメリカは帝国主義であって、資本主義の矛盾が侵略戦争を引き起こすとのことであり、アメリカ陣営にある日本が武装し、交戦権を行使するということは、アメ帝の侵略戦争に加担するということであり、人民を弾圧することにほかならないことになります。

だから、サヨくんは日本の軍備や交戦権を批判しているのであって、日本が共産化して、中共と一緒にアメ帝と戦うのであれば、別に反対はしない…というより積極的に賛成することでしょう。

つまり、サヨくんの本音は、いかなる戦争にも反対、あらゆる武力に反対ということではなく、アメリカ陣営の戦争と武力に反対ということなのです。

小生が勝手に言っているだけではなんですから、少し具体的に見ていきましょう。

まず、日本共産党ですが、今は表向きは護憲政党のようですが、共産党は日本人民共和国憲法(草案)というのを公表しています。

http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/02/119/119tx.html


前文で天皇制の廃止を謳い、財産権の保障についても共産主義に適合する規定になっていますね。

第二十四条 勤労にもとづく財産および市民としての生活に必要な財産の使用・受益・処分は法律によつて保障され、その財産は相続を認められる。社会的生産手段の所有は公共の福祉に従属する。財産権は公共の福祉のために必要な場合には法律によつて制限される。

そして、武力も交戦権も放棄していませんね。アメリカ陣営に属するわけではない“日本人民共和国”は武力も交戦権も放棄しないというのが左翼の考え方であることがよくわかりますね。

また、向坂逸郎という社会党の理論的な指導者がいましたが、社会党は護憲と非武装中立を主張していましたが、それは日本が資本主義であるからであって、社会党政権になれば、直ちに憲法を改正し、武装してワルシャワ条約機構に加盟すると言っていました。

ほら、左翼の護憲は嘘でしたね!

今でも、純粋に護憲や非武装中立に惹かれて共産党や社民党を支援している人がいるようですが、ハッキリ言ってそういう人たちは甘すぎますね。

左翼は馬鹿丸出しのことを言っていますが、少なくとも左翼の指導的立場にある人たちは頭が悪いはずもなく、非武装中立なんかでやっていけるはずのないことは十分に理解しています。本心は非武装中立なんかではないのです。

戦争はイヤ!平和が大事!だからなんとなく左翼の主張する護憲や平和に共感している人たちに小生が言いたいのは、左翼の護憲・平和は嘘ですよ、もう少し左翼の何たるかを勉強した方がいいと思いますよ、ということなのです。

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2007年7月26日 (木)

憲法から逃げる民主党

民主党の応援団長・朝日新聞が昨日もまた酷い社説を書いていました。

「憲法問題」―白紙委任しないために
http://www.asahi.com/paper/editorial20070725.html

■憲法から逃げいているのは民主党だ!
いやはや朝日の捏造体質というか、印象操作には本当に恐れ入ります。

自民党のマニフェストは、3年後に改憲案を国会で発議することを目指すとし、そのための国民運動を展開するとあるだけだ。憲法9条を改正し、自衛軍を持つのが自民党の改憲草案の根幹だが、そんな中身は一切触れられていない。

首相の意気込みはいったいどこへ消えたのだろうか。憲法改正は、首相が掲げてきた「戦後レジームからの脱却」の中核の主張だったはずだ。

これを読むと自民党が憲法論議から逃げいているような“印象”を受けますが…。

民主党はこの選挙で憲法にはあまり触れない戦術だが、共産、社民などは護憲を前面に立てて、支持を訴えている。奇妙なことに、仕掛けた側の自民党が論争を避け、後ずさりしている印象なのだ。

自民党が論争を避け、後ずさりしている?

あのねぇ、朝日さん。自分でも“民主党はこの選挙で憲法にはあまり触れない戦術”と書いているとおり、憲法論議から逃げているのは民主党です。しかも、“あまり触れない戦術”などと書いているけれども、民主党のマニフェストを読んでも、憲法のことなどほとんど触れていないのですね。

なぜ、民主党は憲法から逃げているのか?

それは党の分裂を避けるためでしょう。

小沢一郎も鳩山由紀夫も改憲論者ですし、前代表の前原誠司も改憲論者です。これに対して、旧社会党出身の議員はもちろん護憲派です。特に、参議院には旧社会党系の議員がいるわけです。

そこで、民主党が憲法から逃げずに議論したらどうなるでしょうか?おそらくは、執行部が自民党に対抗する改憲案を提示したとしても、肝心の参院選の候補者たちは…

憲法改悪ハンタ~イ!

などと叫びだしかねませんね、昔の社会党の議員みたいに…というか、昔の社会党の議員が横滑りしてきた人たちがいるわけですから。

だから、憲法から逃げたのは自民党ではなく、民主党です。なぜ、自民党が論争を避け、後ずさりしている印象になるのか、まったく理解に苦しみますね。

余談ですが、小生なんて、年金問題は憲法問題を議論させないために護憲派が仕組んだのではないかと疑っているくらいです。

■憲法問題に真正面から取り組んでいるのはどこの政党か?
ちなみに、憲法問題から逃げずに、真正面から取り組んでいるのは、どこの政党でしょうか?

自民党?いや、自民党ではなく、やはり維新政党・新風でしょう。

http://shimpu.sakura.ne.jp/sblo_files/senkyo/image/manifest19.pdf

戦後政治の不作為の象徴である現行憲法(占領基本法)を破棄、真の独立主権国家として正統な憲法を制定します

ここまでハッキリと主張している政党は新風だけなのではないでしょうか。

先日、渋谷のハチ公前で新風の演説を偶然見かけて、鈴木信行候補の字が見えたので、急いで聞きにいったら、鈴木候補ではなく、新風の方が演説されていたのですが、その時にも、自民党は昔は自主憲法制定を主張していたのに、今では占領憲法の改正で済ませようとしているという趣旨の批判をされていました。新風の憲法に対する考え方がよくわかりますね。

この点について、自民党はどのように考えるのでしょうね。安倍首相に是非、聞いてみたいところではあります。まあ、本音はなかなか言わないでしょうけれどもね。

■集団的自衛権から逃げているのは民主党ではないのか?
朝日新聞は、集団的自衛権についても、よくわからないことを言っていますね。

それほど重要な争点なのに、自民党マニフェストは「集団的自衛権の問題を含め、憲法との関係を整理し、安全保障の法的基盤の再構築を行う」とするだけで、結論をぼやかしている。

首相も「懇談会で議論を深めている最中だから」と最終的な方向づけは避けているが、それでも解釈変更の必要性は唱えている。

これを読むと、自民党や安倍首相が集団的自衛権の議論から逃げているように読めますが…。

自民党が勝てば、首相は懇談会の報告に沿って、集団的自衛権の行使容認に踏み込むに違いない。改憲への動きにも拍車がかかるだろう。逆に自民敗北ならば、ブレーキをかけざるを得まい。

あのねぇ、朝日さん、自分で書いているじゃないの、“自民党が勝てば、首相は懇談会の報告に沿って、集団的自衛権の行使容認に踏み込むに違いない”と。

だから、結論をぼやかすも何もなくて、安倍首相は集団的自衛権の行使を容認すると、懇談会なんてそのための議論ですよね。

これに対して、民主党はどうなのでしょう?集団的自衛権の行使について、党としての見解を提示することができるのでしょうか?

前原前代表などの集団的自衛権の行使に積極的な議員と旧社会党系の議員とでは、最初から議論になるはずがないですね。

ちなみに、何度も書いていますが、朝日などが大好きな国連はアメリカ(+イギリス)を盟主とする軍事同盟であって、集団的自衛権を行使することが前提になっているのですけどね。国連憲章とか読んだことがないのでしょうか?

だから、国連!国連!国連!騒いでいる人たちが、集団的自衛権の行使を容認しないというのは大いに矛盾しているわけですけれども、こういう人たちは、そもそも国連が軍事同盟であることを知らなかったりするわけですから、話が噛み合わないわけがないですよね。困ったものです。

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2007年6月11日 (月)

法の支配を確立するためにも憲法改正を!

情報保全隊問題に関連して、文民統制の意義を再確認し、憲法改正の必要性を訴えました。

http://nonki-nihonjin.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_7b13.html

しかし、小生は“人治主義者”にされてしまったようですので、法の支配という観点から、もう少し考察してみようと思います。

■法の支配と人の支配
法の支配とは、一般的には法治国家と言ったほうがわかりやすいかもしれませんが、要するに人の支配に対立する概念であって、思い切って要約すると、権力を法という制度に封じ込めるという意味であり、その目的は権力の恣意的な行使を抑制することです。

具体的に言うと、法律というのは、要件と効果が書いてあって、例えば、刑法第199条には、「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する」と書いてあり、この「人を殺した者」というのが要件であって、「死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する」というのが効果なのです。

それで、なぜこんなもので権力の恣意的な行使が抑制できるのかというと、法の支配が確立していなければ、権力者は好き勝手に刑事罰を科すことができますが、法の支配が確立していれば、人を殺さなければ(=法律の定める要件を充たさなければ)、刑法第199条によって処罰することができない(=効果が生じない)のですから、その限度で権力の恣意的な行使が抑制されることになります。

もっとも、「胎児」を殺した場合も「人」を殺したと言えるのか、「脳死」の場合にも殺したと言えるのかなど、「解釈」の面で権力の恣意性が流入する余地あったりするのですが人の支配の場合には、恣意性が流入する余地が無限定であるのに対し、法の支配の場合にはその余地が限定されているという点に意義があるのです。

■法の支配と文民統制は別問題である
文民統制とは、前回も書きましたが、政治が軍事に優先するという原則ですが、これは政治と軍事の役割分担の問題であり、その目的は国策という国益の実現です。

繰り返しになりますが、軍事というのは国策(国益)を実現するための手段ですが、何が国益であるのかは政治の問題であって、政治家が決断すべき問題です。軍人は政治や外交の専門家ではなく、軍事の専門家ですから、政治には介入すべきではなく、軍事に専念すべきということになります。

つまり、何が国益であるのかは政治的に決定され、軍は決定された国益を実現するために、政治の指揮監督の下に、武力行使等をすることになります。

これが文民統制という言葉の意味であって、法の支配とは異なる概念ですし、ましてや法律による行政の原理とはまったく違う概念です。

■憲法9条のもたらす深刻な混乱
小生は、自衛隊に関わる様々な
混乱の根源は憲法第9条にあると考えています。

憲法第9条は武力行使と戦力の保持を禁止しているのですから、どのような言い訳をしようとも、自衛隊という実質的な軍隊は“胡散臭い”存在にならざるを得ません。

そして、憲法第9条のせいで、自衛隊は軍隊ではないという言い訳をしなければならなくなり、自衛隊の出自が警察予備隊ということもあって、自衛隊があたかも行政機関であるかのように扱わざるを得ず、その結果、法律による行政の原理(法律の根拠がないことは何もしてはいけないという原則)が妥当するかのようになってしまっています。

しかし、いつ、どこで、何があるのか予想もできないのが軍事の特徴です。法律に書いてないことは何もできないというのであれば、軍隊は機能しないのであって、法律で軍隊を縛りつけておかなければならないと勘違いしているのは日本くらいのものでしょう。

軍隊には、最低限やってはいけないことだけを定めておいて、原則として何でもやっていいということになっているのです。文民統制であろうとなかろうと。そうでなければ、軍隊なんて機能しませんから。

憲法9条のせいで、自衛隊は法律を遵守する限り、国民を守ることができないという本末転倒の軍隊になってしまっているのです。

■非戦闘地域を定義する愚かさ
文民統制と法律による行政の原理の区別がつかない今の日本。その混乱は、イラク特措法の審議の際に
現れていました。

イラク特措法は、自衛隊の活動区域を「非戦闘地域」に限定したため、「非戦闘地域」とは何かという空疎な禅問答が国会で繰り広げられました。そして、小泉前首相が、非戦闘地域とは「自衛隊の活動している地域」と答弁したため(小泉さんらしい…)、いろいろと批判されたりしました。

しかし、小生に言わせれば、そのようなことを議論していること自体が間違っているのです。

イラク特措法みたいな法律を制定して、こういう場合にはこういうことができるとか、こういう場合にはこういうことはできないとか、事細かに法律に書いてそれを守らせるというのは法律による行政の原理の発想です。

本来的にいえば、軍隊…じゃなかった自衛隊なんて、首相の判断(+場合によっては議会の承認)でいつでもどこでも派遣すればいいのです。そして、派遣したことについては、自衛隊の最高指揮官である首相が議会と国民に対して政治的責任を負い、自衛隊は首相が責任を負うのですから、首相の指揮に従うべきです。

これが文民統制の本来の姿なのですが、文民統制が法律による行政の原理と勘違いされている今の日本では、どうしても自衛隊は法律でがんじがらめにしなければ気がすまないとなってしまうのです。

なお、イラク特措法には、集団的自衛権の問題があったのですが、今回はその問題は割愛しております。

■法律に違反しないと国民を守れない自衛隊
小生は、自衛隊の皆様を尊敬しており、揶揄する意図はないのですが、法律によってがんじがらめに縛りつけられた今の自衛隊は張子の虎も同然だと考えています。

前回も書きましたが、いざという時に、“六法全書”なんか開いて、反撃することは法的に可能か?などと検討していたら、皆殺しにされてしまいます。

だから、法律を遵守する限り、自衛隊は張子の虎も同然なのです。国民を守るなんてことができるはずがないのです。

というようなことは、以前からずっと思っていたことなのですが、この点は現場の自衛隊の方が一番理解されているようでして、いざという時には、法律に違反してでも日本を守るために出動すると明言される方もいらっしゃるのです。

小生は、この発言を聞いたときに、なんとも複雑な思いがしました。法律に違反することを推奨するわけではありませんが、法律に違反しなければ日本を守れないのであれば、違反してでも日本を守るというのです。しかも、このような利他的な行為は、たとえ生還することができたとしても、違法行為として処罰の対象になることでしょう。

しかし、本当にそんなことでいいのか。自衛隊を法律でがんじがらめに縛り付け、法を犯さなければ日本を守れない状態にしておいて、日本を守るために止む無く法を犯せば隊員は処罰するというのですから、この国は本当に狂っているとしか思えません。

■法の支配を確立するために憲法改正を!
現状では、自衛隊はいざという時には法を犯さなければ日本を守ることができません。日本を守るために止むを得ないことではあっても、“法の空白”が生じてしまうというのは決して望ましいことではありません。
有事であっても法の支配が確立していなければならないことに変わりはないはずです。

そうであるならば、自衛隊に関連する法の混乱の元凶である憲法第9条は直ちに改正し、自衛隊を軍隊と明確に位置づけた上で、法律による行政の原理が軍隊に適用されることを否定し、軍隊には軍隊に適用される法(最低限、やってはいけないことだけを禁止した法)を整備して、首相の最高指揮権のもとに国防等の任務を遂行させるべきです。このようにしなければ、いつ、どこで、何が起こるかわからない事態に対処しなければならない軍隊を法によってコントロール(支配)することはできないのです。

最初から守れるはずもない法律を制定して、これを押し付けることは、法の支配でもなんでもないのです。

小生は、法の支配を確立するためにも、憲法改正をすべきだと考えています。

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2007年6月 9日 (土)

情報保全隊と文民統制と憲法改正

共産党が突きつけた情報保全隊問題ですが、どうも議論が混乱しているように思います。

小生の意見では、もちろん、その混乱の原因は憲法第9条にあるということになります。

■法的根拠がないはずがないでしょ?
まず、「左翼というのはプライドたりえるのだろうか」のlefty氏が、法的根拠がないと痛烈に批判しています。

http://d.hatena.ne.jp/meiwakoko/20070608

しかし、情報収集と分析といえば、軍事の基本中の基本。孫子にも、敵を知り、己を知らば、百戦危うからずと書いてあるではないですか。

この程度の情報収集が禁じられているとすれば、そのような法制度の方がそもそも間違っているということになってしまいます。いくら日本が平和ボケしているからといって、そこまで愚かな法制度であるはずがありません。

というわけで、根拠法として、まず防衛省設置法第4条が指摘できますね。

http://www.sankei.co.jp/seiji/seikyoku/070606/skk070606004.htm
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S29/S29HO164.html#1000000000000000000000000000000000000000000000000400000000000000000000000000000

次に、陸自を例に検討しますと、陸上自衛隊情報保全隊に関する訓令第3条に情報保全隊の任務が規定されています。

http://jda-clearing.jda.go.jp/kunrei_data/f_fd/2002/fx20030324_00007_000.html

(情報保全隊の任務)

第3条 情報保全隊は、陸上幕僚監部、陸上幕僚長の監督を受ける部隊及び機関並びに別に定めるところにより支援する施設等機関等の情報保全業務のために必要な資料及び情報の収集整理及び配布を行うことを任務とする。

lefty氏は定義をよく確認せずに議論されているのですが、「情報保全業務」「施設等機関等」の定義も第2条に規定されています。

第2条 この訓令において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
(1) 情報保全業務 秘密保全、隊員保全、組織・行動等の保全及び施設・装備品等の保全並びにこれらに関連する業務をいう。
(2) 施設等機関等 防衛庁本庁内部部局、防衛大学校、防衛医科大学校、防衛研究所、統合幕僚会議事務局、情報本部、統合幕僚学校、技術研究本部、契約本部及び防衛施設庁をいう。

要するに、情報保全隊の任務とは、“陸上幕僚監部、陸上幕僚長の監督を受ける部隊及び機関並びに「防衛庁本庁内部部局、防衛大学校、防衛医科大学校、防衛研究所、統合幕僚会議事務局、情報本部、統合幕僚学校、技術研究本部、契約本部及び防衛施設庁」の「秘密保全、隊員保全、組織・行動等の保全及び施設・装備品等の保全並びにこれらに関連する業務」のために必要な資料及び情報の収集整理及び配布を行うこと”、という意味になります。

今回の“反日勢力”に関する情報収集ですが、自衛隊のイラク派遣に反対する勢力が防衛庁の内部情報を入手しようとしたり、自衛隊員に危害を加えたりする可能性はあるのですから(実際に、共産党は今回、どこからか自衛隊の内部情報を入手していますね)、そのような事態にならないように、反日勢力に関する情報収集をすることが、「秘密保全、隊員保全…」のために必要な資料及び情報の収集整理に当たることは明らかでしょう。

もちろん、例えば盗聴などの違法な手段によって情報収集をしていたのであれば、小生も批判しますが、現時点で判明している情報では、情報保全隊は違法な手段によって情報を収集整理していたわけではないのですから、現時点では法的にも批判される点は見当たりませんね。

■文民統制は軍隊の暴走を阻止するためのものではない
ここからが本題ですが、先日、小生が批判した朝日新聞の社説を読んでもわかるとおり、どうも日本では、文民統制とは軍隊の暴走を阻止するためのものと誤解されているようなのです。

しかし、小生は、誤解を恐れずに、あえて言い切ってしまいますが、文民統制とは軍隊の暴走を阻止するためのものではありません。

考えてみればわかることですが、軍隊が暴走した場合に、これを阻止する手段は国にはありません。暴走したら、それまでです。

文民統制とは、軍隊の暴走を阻止するためのものと信じて疑わない人に聞きたいのは、例えば、自衛隊が軍事クーデターを起こしたとします。

その時に、安倍首相が自衛隊法第7条に基づいて、クーデターを中止するように指揮すれば、自衛隊が軍事クーデターをやめるとでも思っているのでしょうか?

この軍事クーデターは、“国会の事前承認”がないから文民統制違反だ!と言えば、自衛隊が軍事クーデターをやめるとでも言うのでしょうか?

文民統制によって軍隊の暴走を阻止するなんて、あまりにも馬鹿げた話です。笑い話にもなりません。自衛隊でも軍隊でも、このような実力集団が、首相の指揮権に違反してでも実行すると覚悟すれば、もうその暴走を阻止する手段なんて国にはないのです。

それでは、文民統制とは何なのでしょうか?これは簡単に言えば、政治と軍事の役割分担の問題です。戦争は国益を実現するための手段であって、政治・外交の延長にあります。ところが、軍人は軍事の専門家ですが、必ずしも政治・外交に精通しているわけではないので、軍人が政治に介入すると国益が実現できなくなる危険があります。

そこで、政治軍事に優越させ、軍隊を政治に介入させないことにより、政治への悪影響を避けるとともに、軍隊軍事に専念させ、軍事を通じて国益を実現するという本来の役割を全うさせる必要があります。

これが、政治が軍事に優先する原則=文民統制なのです。つまり、国益を実現するためには、政治を軍事に優先させるべきだというのが文民統制なのです。

■軍隊を法律で縛りつけるのは文民統制ではない
日本では、軍隊…ではなく自衛隊を法律でがんじがらめに縛りつけておくことが文民統制だと誤解されています。

しかしながら、考えてみればわかることですが、敵が攻めてきたときに、いま反撃することができるのか否か、いちいち法律を調べなければならないのであれば、自衛隊なんて張子の虎と同然でしょう。

軍隊というのは、最低限やってはいけないことだけを禁止しておいて、あとは何でもやっていいというのが原則なのです。そうでなければ、国も国民も守ることはできないでしょう。

この点が、軍隊と行政が根本的に異なる点なのです。

行政であれば法律による行政の原理(行政権の行使には法律の根拠が必要とされる原則、つまり、法律がなければ何もできないということ)が妥当しますから、きちんと法律の根拠に基づいているのか確認しながら行政権を行使することになります。

ですから、例えば、市町村レベルで何か問題が発生すれば、まず関係法令や判例、先例を調べます。それでも解決しなければ県にお伺いを立てます。それでも解決しなければ、霞ヶ関にお伺いを立てます。

これに対し、軍隊ではそうはいきません。敵が攻めてきたときに、反撃できるのか調べるために“六法全書”なんて開いていたら、皆殺しにされるだけです。法律でがんじがらめにされた軍隊では、(法律に従っている限り)国民を守ることなど到底不可能でしょう。

文民統制とは、先ほども書いたとおり、政治が軍事に優先するというだけの意味なのに、いつの間にか法律でがんじがらめに縛りつけることが文民統制だと誤解されてしまっているのが今の日本なのです。

■混乱の元凶である憲法9条を直ちに改正せよ!
それでは、なぜ自衛隊を法律でがんじがらめに縛りつけることが文民統制だと誤解されるようになってしまったのでしょうか。

小生は、その元凶は憲法第9条にあると考えています。

(陸上)自衛隊の前身は、警察予備隊です。警察というのは、もちろん行政機関ですから、法律による行政の原理が妥当し、法律でがんじがらめに縛られています(少なくとも理念的には)。

日本が主権回復を果たすと、警察予備隊は保安隊になりますが、名前のとおり保安機関であって、軍隊ではないということになっていました。

そして、保安隊が(陸上)自衛隊になったのですが、きちんと憲法を改正して、軍隊として位置づけるべきであったのに、憲法を改正しなかったため、自衛隊は軍隊ではないなどという詭弁を弄さなければならず、またその出自が警察予備隊であったため、軍隊のようでありながら、行政機関ようでもあるという摩訶不思議な存在となってしまいました。

その結果、あたかも、自衛隊に法律による行政の原理が妥当するかのような状況が出現してしまったのです。

しかし、これが日本の安全保障上、極めて問題であることはいうまでもないでしょう。法律によってがんじがらめに縛りつけられた自衛隊は、いざというときに、法律を守っていたら、国民を守れないのですから。

このような摩訶不思議な事態が生じてしまった元凶が憲法第9条にあることはいうまでもありません。

憲法第9条がある限り、自衛隊は実質的には軍隊なのに、どうしても形式的には軍隊ではないという不毛な“言い訳”をしなければならず、その結果、様々な矛盾が生じてしまうのです。

小生は、国民の生命や財産を守るためには、軍事に関することについても、きちんと法的に筋を通さなければならないと考えており、そのためには、やはり憲法改正が必要なのだと考えています。

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2007年6月 5日 (火)

「護憲はおかしい」という人たちとその一点で繋がろう!

夏の参院選に出馬する元外交官の天木直人氏が護憲について語っていますが、小生には疑問だらけです。

小生も平和を愛しています。しかし、問題なのは護憲で平和を守れるのかという点なのですが、このあたりは完全にスルーされているようです。

~~~引用開始~~~

2007年06月04日
「改憲はおかしい」という人たちとその一点で繋がる

「改憲はおかしい」という人たちとその一点で繋がる

07年6月3日 メッセージ 再掲

http://www.youtube.com/watch?v=HF2jwD95Dbg

   ビジネス情報誌エルオネスという月刊誌がある。その6月号に樹静馬というジャーナリストが書いていた。激しい書き方であるが、憲法9条改憲の愚の一側面をズバリ指摘している。あらゆる角度から改憲反対に向けて国民を覚醒させなければならない。そのためには樹氏のこの記事も有用である。以下は「ニュースの鑑定人」という連載116回の記事からの抜粋である。

   ・・・つまりこの(安倍首相の)九条改正は、自衛隊を自国防衛ではなくイラクのような遠い地域で「米国の傭兵化」するもので、国土防衛とは関係ないのだ。北朝鮮がミサイルを打った日と核実験をした日、日本政府は国防会議も招集しなければ、日本海側の知事と協議もしなかった。守ろうともしないで、集団的自衛権に疑問があるから、イージス艦の情報を米国に送れなかったから、九条改正したいというのでは、自衛隊は何のためにあるの?自民党にとっての自衛隊の存在意義とは(憲法で認められている自衛権とは)別なのだ。
   安倍にとって自衛隊の傭兵化は、拉致に向いてくれないブッシュ政権への貢物のつもりなのかね。鑑定人(著者である樹静馬氏のこと)は、傭兵化に怒った自衛隊の一部がクーデターを起こす事を一番心配している・・・

  樹氏の考え方はいわゆる反戦主義者がいう護憲ではないだろう。しかし今9条改憲を急ぐ理由はないと自覚する国民を一人でも増やすためにあらゆる考え方を結集すべきだ。その考え方の一つが、米国の要請に従属して憲法9条改憲を急ぐ事はおかしいということである。アラブ反米武装抵抗組織に対する米国の戦争の為に、日本の国土と国民を守る為に存在するわが自衛隊を差し出す事は、誰が考えてもおかしい。この点をおかしいと正面から述べている樹氏は、はやり憲法9条を今変えてはいけないと考える仲間の一人である。彼のような者も取り込んで幅広い国民が「今憲法9条を変えることには反対だ」の一点で結束できれば改憲は防げる。今改憲が防げるという事は将来にわたって改憲の試みは退けられるということだ。今が正念場だ。
  もっとも私は樹氏のいう「傭兵化に怒った自衛隊の一部がクーデターを起こす事を一番心配している」という意見については、まったくそうは思わない。もしそのような自衛隊員が一人でも現れるようならまだこの国も捨てたものではないと思う。現実は、わが自衛隊の中から、ただの一人も、「これはおかしい」と言ってイラク行きを忌避するものが出てこなかった。バグダッドへ米兵や武器弾薬を輸送する空自の中から、誰一人として「これは国民を騙している」と告発するものが出ていない。この事こそ問題ではないのか。上司の誤った命令でも「すべては上が決めること」と言って従う、この官僚的な自衛隊の現実こそ憂えるべきと思う。

~~~引用終了~~~

■護憲で平和は守れない!
平和が好きだ!だから護憲なのだ!と主張する天木直人氏に聞きたいことがあります。

チベットに日本国憲法第9条があれば、チベットは中共に侵略されず、平和が維持できたのですか?

天木氏が小生の問いに答えてくれるはずもないので、小生が答えも書いておきます。書かなくても答えはわかりきっていますが、

チベットに日本国憲法があったとしても、中共に侵略され、平和は維持できなかったでしょう。

チベットがどのようにして中共に侵略されたのか、どれほどのチベット人が大量虐殺され、この世の地獄を味わったのかについては、何度かご紹介しましたマイケル・ダナム著「中国はいかにチベットを侵略したか」を読んでいただければわかります。

http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%8B%E3%81%AB%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%92%E4%BE%B5%E7%95%A5%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%8B-%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%AB-%E3%83%80%E3%83%8A%E3%83%A0/dp/477004030X

まさか、天木氏は、「チベットは侵略されたのではない、解放されたのだ!」なんてことは言わないですよね。

ちなみに、以前にも書かせていただきましたが、天木氏の主張しているような平和主義こそ、平和を乱す元凶なのです。武力も交戦権も放棄すれば、侵略者が喜ぶだけなのですから。
http://nonki-nihonjin.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_f15c.html

■自主防衛能力のない日本にはイラク戦争に反対する権利などなかったのではないか?
天木氏も文中に出てくるジャーナリスト氏も、憲法を改正すると、イラク戦争のようなアメリカの戦争に日本が巻き込まれることになると主張しているようです。

しかしながら、この点も既に書かせていただきましたが、自主防衛能力が欠如し、安全保障をアメリカに依存している日本は、中東戦略というアメリカ外交・安全保障の根幹の部分で反対する権利などありはしません。

http://nonki-nihonjin.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_a6c7.html

日本は、アメリカの戦争に巻き込まれたくないというのであれば、自主防衛能力を整備し、アメリカに依存しなくても中共の核を含めた脅威に対抗できるようにならなければなりません。

自主防衛能力をアメリカに依存した今の日本が、イラク戦争に反対するなんて笑い話にもならないでしょう。そんなことを言えば、アメリカは「それならばもう日本を守らない!」と言うかもしれません。そう言われてしまえば、中国に侵略されたくない日本としては、アメリカに従うしかないのです(ちなみに、クリントンという破廉恥極まりない大統領は、経済交渉の席でも、「アメリカが日本を守ってやってることを忘れるな!」などと脅迫してきたそうです。自主防衛能力のない国の哀れさを知るべきでしょう)。

だから、小泉前首相だってイラク戦争に賛成したのでしょう。小泉前首相の判断を小生なりに推測すれば、「大量破壊兵器なんてなんか怪しいけれども、日本はイラク戦争に反対できるはずがない。だったら、徹底的にアメリカを支持しよう」ということなのでしょう。言ってみれば、「毒を食らわば皿まで」という心境だったのではないでしょうか。

その判断は、倫理・道徳的に正しいかどうかは別として、小泉前首相のおかげで、日本の本当の敵、中共の脅威に対抗するために、日米同盟が強化されたのであり、日本の国益に合致していたことは間違いないのです。

アメリカの戦争に唯々諾々と従わなければならない情けない日本が嫌だというのであれば、憲法を改正して中共に対抗できるだけの自主防衛能力を整備するしかないのです。

なぜ、こんなに簡単なことが理解できないのでしょうか。

ちなみに、イラク戦争にはフランス、ロシア、中国という国連常任理事国が反対しましたが、これらの国は、なにもアメリカに殺されるイラク人が可哀想だからイラク戦争に反対したわけではないでしょう。

イラク向けの債権があるから、取り立てるまではフセイン政権が存続して欲しいとかその程度の話です。

そもそも、ロシアや中共が人命なんか尊重するはずがありません。中共は文化大革命やら何やらで数千万人もの自国民を殺しています。自国民がこれだけ死んでいるのに、毛沢東は平気な顔をして権力の座についていたのです。中共の指導者にとっては、自国民の命ですら貴重なものではないのです。ましてや、イラクで人が死んだとしても、中共が心を痛めたりするはずがないのです。

■矛盾している天木氏のクーデター容認発言
それにしても、天木氏の自衛隊によるクーデターを容認するかのような発言には驚かされます。

もっとも私は樹氏のいう「傭兵化に怒った自衛隊の一部がクーデターを起こす事を一番心配している」という意見については、まったくそうは思わない。もしそのような自衛隊員が一人でも現れるようならまだこの国も捨てたものではないと思う。

たったの一人でクーデターを起こそうとするほど頭の悪い自衛隊員などいるはずがないとは思いますが、それはさておき、クーデターを起こすような自衛隊員が現れると、「まだこの国も捨てたものではない」と思ってしまう天木氏の感覚は、小生にはまったく理解できません。

しかも、ほんの少し前のご自身の発言と矛盾しているのではないでしょうか。

http://www.amakiblog.com/archives/2007/05/31/#000403

~~~引用開始~~~

しかし私はやはり安倍首相が今年3月の防衛大学の卒業式で述べた訓辞の言葉を重大視したい。安倍首相は「慎重と自制を説く忠言が、いかに致命的危険の主因となりうるか・・・」というチャーチル回顧録からの言葉を紹介した上で、「将来直面するであろう危機に臨んでは、右と左を足して二で割るような結論が真に適合したものとはならない・・・思索し決断する幹部であってほしい」と述べた。
この発言については5月18日に行なわれた党首討論においても小沢民主党代表がシビリアンコントロールの観点から問題提起をしていたが、メディアは取り上げなかった。
   しかし「実業界」という月刊誌の6月号で、小島秀樹という弁護士が、「この言葉だけでも内閣は総辞職すべき」重大な発言であると次のように書いていた事に私は注目した。この事をブログで取り上げるためだけの目的で、670円を払ってこの雑誌を買って、今こうして書いている。

(略)

そして小島弁護士は次のように激しい言葉で結ぶのである。
   「・・・よりにもよって、将来の自衛隊幹部に向かって、『主体的に決断する幹部であって欲しい』とは何ということを言うのか。自衛官は如何に高い地位についても、国民の代表たる内閣の政治的決断に依存すべきであって、自ら『決断』してはならない。

~~~引用終了~~~

あれれ、今回(6月4日)は“上司の誤った命令でも「すべては上が決めること」と言って従う、この官僚的な自衛隊の現実こそ憂えるべきと思う”と言って、個々の自衛隊員の自主的な判断の欠如を憂いていますが、前回(5月31日)は“よりにもよって、将来の自衛隊幹部に向かって、『主体的に決断する幹部であって欲しい』とは何ということを言うのか。自衛官は如何に高い地位についても、国民の代表たる内閣の政治的決断に依存すべきであって、自ら『決断』してはならない”という小島弁護士の言葉を、「我が意を得たり!」という感じで引用していたではないですか!

ほんの少し前に自分が言っていたことと矛盾することを言ってのけるとは、恐れ入りますね。

ちなみに、安倍首相の「主体的に決断する幹部であって欲しい」というのは、文民統制にはもちろん違反しませんし、むしろ当然のことを言っているにすぎません。

文民統制について論ずると、あまりにも長くなるので今回はやめておきますが、安倍首相が自衛隊の最高責任者であることを当然の前提とした上で、自衛隊の幹部が主体的に決断することを求めたのであって、文民統制に違反するはずがない。

それとも、天木氏や小島弁護士とやらは、個々の作戦の隅々までをすべて安倍首相が手取り足取り命令しなければならないとでも考えているのですか?

時々刻々と変化する状況においては、安倍首相の責任の下に、幹部自衛官が主体的に決断しなければ、いかなる作戦も実行できませんよ。

まさか、自衛隊員の箸の上げ下げまで安倍首相が命令するのが文民統制だなんて考えているわけではないですよね、天木さん!

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2007年5月31日 (木)

アメリカの戦争に巻き込まれないために日本がすべきこととは何か?

護憲派の中には、憲法改正について、アメリカと一緒に戦争をするための憲法改正だと批判し、アメリカの戦争に巻き込まれないために憲法を改正すべきではないと主張する人がいるようです。

そこで、今回は改憲派の小生がアメリカの戦争に巻き込まれないために、日本は何をすべきかを考えて見ました。

■自主防衛能力のない日本に自国の運命を決定する権利があると思っているのか?
特にイラク戦争の影響でしょうか、憲法を改正すると日本はアメリカの戦争に巻き込まれるという主張は、ある程度支持されているように思えます。

しかしながら、憲法を改正しなければアメリカの戦争に巻き込まれないのでしょうか。答えは、もちろん否でしょう。

なぜか?

極めて単純な話です。日本には自主防衛能力がなく、日本の防衛を担っているのはアメリカだからです。

日本は貿易立国ですが、中東からインド洋、マラッカ海峡、台湾と続く日本のシーレーンを支配している国はどこですか?

言うまでもなくアメリカです。アメリカが日本のシーレーンを支配しているということは、日本の生殺与奪の権利をアメリカが握っているということです。

アメリカが日本のシーレーンを封鎖すれば、あっという間に日本の息の根は止まります。経済大国なんていってみたところで、日本なんてもろいものです。

それに、アメリカがもう日本を守らないと一言言うだけで、日本は中国の属国になってしまうかもしれないのです。

中国の属国になれば悲惨な運命が待ち構えていることは自明ですから、日本としてはアメリカに従うしか選択肢はないのです。

日本は、例えば牛肉を輸入するとかしないとかそうした些細なことでアメリカに反対することはできても、アメリカの世界戦略の根本の部分で反対することなんてできるはずがないのです。

自主防衛能力がなく、アメリカに自国の防衛を依存してしまっている日本がイラク戦争に反対するなんて、冗談にもなりません。

日本がイラク戦争に反対していたら、今ごろは中国の属国への道を転げ落ちていたことでしょう。

ですから、大量破壊兵器があるとかないとか言っている人は、完全に的外れな議論をしているわけです。大量破壊兵器なんて、あってもなくても、そんなことは日本には関係のない話です。

日本には、アメリカに従うのか、中国の属国になるのか、この二つの選択肢しかないのです。後者は最悪ということであれば、もう前者しか選択肢はないのです。

自主防衛能力のない日本に自国の運命を決定する権利などあるはずもないのです。

■ドイツとフランスがイラク戦争に反対できたのは自主防衛能力があるからだ!
ドイツとフランスはイラク戦争に反対して、アメリカから古い欧州と激しく非難されましたが、それでもイラク戦争反対を貫きました。

ドイツとフランスがイラク戦争に反対することができたのは、もちろんフランスが核保有国だからであり、アメリカに依存しなくても自国を防衛することができるからです。

フランスは戦後、超大国アメリカに呑み込まれないようにするために、アメリカの反対を押し切って核兵器を開発し、自国だけでアメリカに対抗することは困難なので、仇敵ドイツと劇的な和解を果たしました。フランス(とドイツ)を盟主とするEUは今ではアメリカに対抗し得る一極にまでなっています。

アメリカに依存しないで生きていける国だからこそ、ドイツもフランスも自国の判断でイラク戦争に反対することができたのです。

ですから、ドイツやフランスだってアメリカに反対しているのだから、日本も…などというのは間違いです。

アメリカに依存せずに、自国の運命は自国で決めるために、何十年も努力を積み重ねてきたフランスとドイツは、国家の基本法たる憲法で自主防衛を最初からあきらめてしまい、何もかもアメリカに依存して生きてきた日本とはまったく違うのです。

■アメリカの戦争に巻き込まれないためにも憲法改正と核保有を!
小生は、別にイラク戦争を肯定する気も否定する気もありませんが、日本の運命は日本人だけで決めたいと考えています。

アメリカの言いなりになるのも、中国の言いなりになるのもお断りです。

ですから、日本がアメリカの戦争に巻き込まれないためには、日本は憲法を改正し、核を保有して自主防衛能力を整備するしかないのです。

ここで言う日本の自主防衛能力とは、日本の最大の脅威が中国である以上、中国に対抗し得るだけの防衛能力という意味です。

誤解されないように念を押しますが、小生が言っているのは、戦争をするために防衛能力を整備するのではなく、戦争をしないために防衛能力を整備するということです。

仮に、中国が日本を核攻撃しても、日本の核が中国全土を地球上から消滅させることができるのであれば、中国が日本を攻撃してくる可能性は大幅に低下します。

サッチャー元英首相も言っているとおり、核保有国同士は戦争をしないのです。

日本が中国の核に対抗できるだけの自主防衛能力を保有することができれば、日本はアメリカの言いなりにも、中国の言いなりにもならずにすみます。

日本の運命は日本人だけで決めることができるようになるのです。

ですから、アメリカの戦争に巻き込まれたくないという人は、憲法改正と核保有に賛成しなければならないですね。

念のため補足しますが、日本が自らの判断でアメリカの戦争に協力したりすること(例・台湾防衛)を否定する趣旨ではありません。問題としているのは、日本が日本だけの判断で日本の運命を決定することができるか否かという点です。

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2007年5月26日 (土)

9条神話を打破せよ! 護憲で日本は生き残れない

■元外交官とは思えぬ天木直人氏
9条護憲を訴えて元外交官の天木直人氏が参院選に立候補することになりました。

元とはいえ、外交のプロに対して、ずぶの素人である小生が申し上げるのもなんですが、憲法9条で日本を守ることなど到底不可能でしょう。

護憲を唱えるなんて、本当に外交という荒波の中でもまれてきた方なのか不思議に思いますし、それに交戦権放棄と軍備放棄で戦争がなくなる、平和になるというのであれば、とっくの昔に世界中の国が交戦権と軍備を放棄していることでしょう。

しかしながら、世界のどの国も交戦権も軍備も放棄しないのはなぜか?それでは国を守れないし、戦争もなくならなければ、平和にもならないからです。交戦権と軍備の放棄なんて、中共のような軍事独裁国家、覇権主義国家を喜ばせるだけのことであって、かえって平和を乱すことになりかねないでしょう。

■的外れの麻生外相批判
また、この元外交官氏は麻生外相の発言を批判していますが、小生には的外れとしか思えません。

http://www.amakiblog.com/archives/2007/05/post_189.html#trackbacks

~~~引用開始~~~
外交を行う者の覚悟と責任の重さ
     外交を行う者の覚悟と責任の重さ

  外交の失敗によって戦争が起きることもある。その意味で外交は国民の運命を左右する厳粛な仕事である。それを任された者はその責任の重さに畏れ、謙虚にならなければならない。責任の重さを実感し覚悟をしてかからなければならない。
  しかし世界でもまれな平和国家日本の外交は、そのような緊迫感を持たなくても誰もが勝手に出来るようだ。二人の外交担当者の次の言動はその典型だ。
 月刊ファクタという雑誌に麻生外相のインタビュー記事が出ていた。人のよさそうな麻生大臣であるが、吉田茂の孫という立場ではつい格好をつけたがるようだ。言葉が勢い勇ましくなる。その結果発言が乱暴になる。最近の日中関係について触れた件である。日本は中国との外交で卑屈になる必要はまったくない。しかし今や国際的に影響力を増しつつある中国を、いたずらに貶めたり、軽んずるような言葉は、自らの自信のなさの裏返しのようでいただけない。麻生大臣は言う。
「(日中関係の改善を中国側が示した事について)・・・ああ、来たな、と勘が働いた・・・だって海外からの対中投資は、前年(05年)は日本以外は平均でマイナスですよ。ここで日本の投資がとまったらとてももたん、と経済がわかる奴なら絶対にそう思うと踏んだ・・・李肇星(当時の外相)に「私は日中友好には興味がない」と切り出した・・・続けて「仲良くして損したら話にならん。日中共益が目的であって友好は単なる手段じゃないか」と言った。(意気投合したのは)それがきっかけですかね。中国はなかなか本音をしゃべらない国です。でも(もってまわった言い方をせず、すぱっと言えば相手も)すぱっと言いますよ。李肇星はそこそこ英語もできるし・・・」
 勇ましい事をメディアに言いたい気持ちはわからないではないが、麻生さん、相手がいないからと言ってそこまで格好をつけてはだめだ。李肇星は駐国連大使、駐米大使を経て外務大臣になった外交官ですよ。中国きっての米国通であり英語の使い手である外交官ですよ。あなたの英語がどの程度か知らないが、「そこそこ英語ができる」とは格好つけ過ぎだ。
~~~引用終了~~~

この元外交官氏は、麻生外相が李肇星(り・ちょうせい)前外相について、「そこそこ英語もできるし」と発言したことに噛み付いています。麻生外相よりも李肇星前外相の方が英語は上手いはずとでも言いたいのでしょうか。

しかしながら、麻生外相が言いたいのは、もちろん英語力のことではなくて、「私は日中友好には興味がない」「仲良くして損したら話にならん。日中共益が目的であって友好は単なる手段じゃないか」「(意気投合したのは)それがきっかけですかね。中国はなかなか本音をしゃべらない国です。でも(もってまわった言い方をせず、すぱっと言えば相手も)すぱっと言いますよ」という点です。

小生には、麻生外相が言っていることはまさに正論だと思えます。日本の媚中派は、日中友好自体が自己目的化していますが、外交の目的は日本の国益を実現していることに決まっています。日中友好は手段であって目的ではありません。

それに、中国の言っている日中友好なんて、要するに日本が中国に都合よく振舞うことを意味しているだけではないでしょうか。例えば、中共が捏造した歴史認識を承認し、中共による台湾解放=侵略・武力併合に異を唱えず、日本のカネと技術を中国に貢ぐことが中共の言っている日中友好にすぎません。

ですから、麻生外相が「私は日中友好には興味がない」「仲良くして損したら話にならん。日中共益が目的であって友好は単なる手段じゃないか」というのは、当然すぎるほど当然のことです。このような当たり前のことすら言えない政治家や外交官の方がよっぽどどうかしているのではないでしょうか。

この元外交官氏は、この点についてはどのように考えているのか。麻生外相が本当に言わんとしていることは完全にスルーして、英語力の問題に話をすり替えているのは、いかがなものか。

また、この元外交官氏は「しかし今や国際的に影響力を増しつつある中国を、いたずらに貶めたり、軽んずるような言葉は、自らの自信のなさの裏返しのようでいただけない」などと麻生外相を揶揄していますが、麻生外相が本音をすぱっと言ったところ、李肇星前外相もすぱっと本音を言って、意気投合するようになったというのですから、いったい何が問題だというのでしょうか。

むしろ、遠まわしの当たり障りのない発言に終始して、何ら成果のない会談をする方がよっぽど批判されるべきではないのでしょうか。

■的外れの小泉外交批判
この元外交官氏は、小泉前首相の外交についても批判していますが、これまた的外れとしか思えません。

http://www.amakiblog.com/archives/2007/05/post_189.html#trackbacks

~~~引用開始~~~
 もう一つの例は、小泉前首相の秘書官であった飯島勲氏が「実録小泉外交」(日本経済新聞社)なる本を最近出版した事についてである。その前に出した「小泉官邸秘録」(日本経済新聞社)があまり外交に触れていなかったので、その批判に答えるためにも外国に絞って書いたという。しかしこれがまた全く内容のないものである
。私が最も知りたかった訪朝の件については、「交渉が継続中であるから何も書けない」と逃げ、どこのホテルが一番良かったかとか、どこの景色が一番美しかったか、などという、小泉前首相の5年半で行った49カ国の外遊の同行者が書いたガイドブックなのである。
何が実録小泉外交なのだろう。もっともこれが小泉外交のすべてであったというのなら合点がいく。
~~~引用終了~~~

今でも6者協議は続いており、日本と北朝鮮との間には、拉致や核、ミサイルなどの問題が山積みです。小泉前首相の訪朝から活発化した日本と北朝鮮との間の「外交戦争」は今も継続中なのです。

そうした状況の中で、飯島勲氏が小泉前首相の「訪朝」について、具体的なことなど書けるはずがありません。もしも、日朝間の外交交渉の裏側まで暴露されてしまったら、日本の外交的利益が著しく損なわれることは間違いないでしょう。だから、飯島氏であろうが誰であろうが、「訪朝」について具体的なことなど書けるはずがないのです。

そして、この元外交官氏だって、元外交官なのですから、ずぶの素人の小生に指摘されるまでもなく、そんなことくらいはわかっているはずです。書けないことをわかった上で、「何が実録小泉外交なのだろう。もっともこれが小泉外交のすべてであったというのなら合点がいく」などと批判しているのですから、これは的外れというよりも、姑息としか言いようがありません。

元外交官であるならば、元外交官らしい経験と知識に裏打ちされた論評をして欲しかったものです。小生には、大変残念なことに、この元外交官氏の言っていることは、小泉憎しでただ批判したいだけというようにしか聞こえません。

■米本土への核攻撃可能な潜水艦を開発する中共
9条幻想にとらわれた元外交官氏が参院選に立候補するかと思えば、中共は、日本の護憲と妄想的平和主義を嘲笑うかのように、米本土を核攻撃することができる潜水艦を「驚くべきペース」で開発していることが明らかになりました。

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20070525i203.htm

~~~引用開始~~~
中国、米本土への核攻撃可能な潜水艦開発…米国防総省
 【ワシントン=貞広貴志】米国防総省が25日にも公表する中国の軍事力に関する年次報告で、米本土を攻撃可能な核ミサイルを搭載する最新鋭の潜水艦開発が「驚くべきペース」で進んでいると指摘することが24日、明らかになった。
 新型の移動式大陸間弾道ミサイル「東風31A」の配備が今年後半に開始されることも明らかにし、中国の核戦力増大に懸念する内容になる。英紙フィナンシャル・タイムズ(電子版)が伝えた。
 最新鋭潜水艦は、2004年に一番艦が就航した「晋」型で、太平洋から米本土を攻撃可能な射程約8000キロ・メートルの弾道ミサイルを搭載できる。同紙によると、報告書は「中国海軍がすでに晋型艦5隻を試験・開発中」との推定を盛り込むという。
 ゲーツ国防長官は24日の記者会見で、報告書の狙いについて、「(中国が)非常に洗練された(軍事)能力を開発している」ことを指摘すると述べていた。
(2007年5月25日11時48分  読売新聞)
~~~引用終了~~~

今まで何度も指摘してきましたが、アメリカの核の傘は、アメリカを核攻撃する能力のある国に対しては無力なのです。自国民を核の脅威にさらしてまで、アメリカが日本を守るはずがありません。

現状では、米中の核戦力はアメリカの方が優位にあると思いますが、中国が核軍拡(ミサイルや潜水艦の開発も含む)を急ピッチですすめつつあるのですから、米中の核戦力の差は年を追うごとに縮まってきています。

言うまでもないことですが、米中の核戦力の差が縮まれば縮まるほど、アメリカの核の傘は閉じてくるのです。

ですから、日本は、嫌であろうとなんであろうと、アメリカに頼ることができなくなりつつあるのであり、自国の安全は自国で守らなければならなくなってしまっているのです。

このような状況において、なおも憲法9条を守り、核を保有せず、集団的自衛権も認めない…こんなことで本当に日本を守れるのでしょうか。

■9条神話を打破して、中国に対抗できる自主防衛能力を!
日本では、未だに憲法第9条が日本の平和を守ってきたなどという珍説がまかり通っています。
しかしながら、今まで日本が護憲でも戦争に巻き込まれずにすんだのは、たまたまそういう時代であったということにすぎません。

米ソ冷戦時代においては、日本は既にアメリカの勢力下に取り込まれており、相手の縄張りを荒らすということは、米ソ核戦争の勃発を意味すると考えられていたので、アメリカもソ連も既に相手の陣営に取り込まれた国には攻撃しなかったというだけのことであって、まだ米ソのどちらにも取り込まれていない地域では、米ソの縄張り争いで(代理)戦争が起こっています。憲法第9条が日本をソ連から守ってきたわけではないのです。

また、中国は日本を侵略してこなかったというのも、別に憲法第9条が日本を中国から守っていたわけではなく、単に中国は極貧国で侵略する余裕がなかったというだけのことです。

日中国交正常化後に、日本が巨額の援助を実施した結果、中国は経済大国になると同時に、軍事大国になり、日本や台湾の深刻な脅威になっています。要するに、日本のカネで日本が中共の脅威にさらされるようになったのです。

しかも、この中共という軍事独裁国家は、自国民がどれだけ死んでもお構いなしの国なのですから、アメリカと本気で核の打ち合いをする可能性も否定できません。ましてや、核を保有しない日本など、核報復される心配がないのですから、必要があれば躊躇なく日本に核を打ち込んでくることでしょう。

憲法第9条が日本の平和を守ってきたというのは幻想に過ぎません。そのような事実はまったくないのです。

むしろ、憲法第9条を守り続け、自主防衛能力を整備しないのであれば、アメリカの核の傘が閉じつつある今、日本は中共の核戦力の前に屈服するしか選択肢がなくなってしまい、日本は中共の朝貢国になるしかなくなってしまうのです。

日本が今後も独立国であり続けるため、日本が日本であり続けるためには、まず胡散臭い9条神話を打破し、核を含めた自主防衛能力を整備するしかないのです。

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2007年5月24日 (木)

平和のための憲法改正を!

■相変わらずの左翼プロパガンダ
国民投票法が可決、成立したためでしょうか、左翼の工作が活発化しているように思います。

左翼に言わせると、憲法を改正したり、集団的自衛権を認めると、日本が戦争の道へ突き進むことになるなどと言うのです。

しかしながら、今の日本には積極的に、言い換えれば、日本の方から好んで戦争を仕掛けなければならない理由はないはずです。

なぜ、憲法を改正すると日本が戦争をすることになるのでしょうか?なぜ集団的自衛権を認めると日本が戦争をすることになるのでしょうか?左翼の言っていることには全然説得力がありません。

■絶対的平和主義が平和を乱す
小生は戦争なんかしたくありません。というより、誰だって好き好んで戦争をしたいとは思わないでしょう。毛沢東などの一部の例外を除けば。

しかし、いかなる場合にも絶対に戦争に反対し、一切の武力を放棄するという絶対的平和主義こそ平和の敵だと考えています。

なぜか?

考えてみれば当然すぎることですが、例えば、台湾が絶対的平和主義だったら、中共軍国主義国家が狂喜乱舞して台湾を侵略することでしょう。

言うまでもないことですが、絶対的平和主義は、中華人民共和国などの危険な覇権主義国家、侵略国家にわざわざ侵略の機会を提供してあげるようなものなのであり、平和を乱すものにほかならないのです。

■武力の均衡が平和を維持する
武力(防衛力)というのは、ただ保有していればそれでいいというものではありません。武力は近隣諸国との間で均衡していなければ、平和を維持することはできません。

これまた考えてみれば当然ですが、戦力差があまりにも大きくなってしまえば、これまた侵略国家にその野望を思いとどまらせることができなくなるからです。

例えば、ジミー・カーターは人権外交だか何だか知りませんが、訳のわからないことを言い出して一方的に軍縮を実行してしまい、軍事的均衡を崩したところ、アメリカはイラン・イスラム革命にマトモに対応することができず、大使館を占拠されるという醜態をさらし、ソ連はアメリカのプレゼンス軍事的プレゼンスの低下を奇貨としてアフガニスタンに侵攻しました。

そこでアメリカは、イラン・イラク戦争でフセインのイラクを支援し、アフガニスタンではビンラディンも参加していたムジャヒディンを支援しました。

すると、アフガニスタンはテロ組織の巣窟となってしまいました。イラクは中東の軍事覇権大国となってアメリカの中東戦略の障害になったので、湾岸戦争とイラク戦争でアメリカに徹底的に叩かれることになってしまいました。

ジミー・カーターはブッシュ現大統領を「最悪」と酷評しているようですが、イラク戦争だってジミー・カーターが日本の左翼妄想平和主義者並みの幼稚な平和主義で、均衡を無視した軍縮を実行したことが、けちのつけ始めだったのではないでしょうか。

それはともかく、大切なことは軍事的な均衡を保つことであり、均衡が崩れたときに戦争が起こる可能性が高まるのです。

■専守防衛では平和を維持できない
軍事的な均衡が崩れたときに、戦争の危険が高まるのであれば、日本は平和を維持するために周辺国との軍事的な均衡を保たなければならないということになります。

しかしながら、日本は「専守防衛」などと言っています。専守防衛で本当に平和を維持することができるのでしょうか?

もちろん、専守防衛では平和を維持することはできません。専守防衛が平和に資するのであれば、今ごろは世界中の国が専守防衛政策を採り入れていることでしょう。

そうなっていないということは、世界中が専守防衛では自国を守れないし、平和を維持できないと考えているからです。

なぜ、専守防衛では平和を維持できないのでしょうか?

考えてみれば、これまた当然のことだと思いますが、日本は専守防衛のための兵器しか持っていませんが、近隣の軍国主義国家、中華人民共和国や北朝鮮は日本の専守防衛政策などせせら笑うかのように、核やミサイルなどの攻撃的な兵器を開発しています。

ですから、中共や北朝鮮は、ミサイルで容易に日本の大都市を攻撃し、日本中をパニックに陥れることができるのに対し、日本はミサイルの打ち合いをすることはできないという軍事的不均衡があるのです。

専守防衛などと寝言のようなことを言っているから、中共や北朝鮮がミサイルで先制攻撃をしてくれば、日本は大打撃を被った後という不利な状況に追い込まれてから反撃するか、さもなくば降参するしかないのです。

残念ながら、左翼の言っている妄想的平和主義は現実の世界では通用しないのであり、中共のような軍国主義国家に日本に対する武力行使を思いとどまらせるものは、日本を攻撃すれば、日本から報復されるという日本の軍事力でしかないのです。

ですから、軍事力の均衡を保たない専守防衛政策というのが、いかに危険なことなのか、考えてみれば誰にでもわかることです。

■平和のための憲法改正を!
小生は、専守防衛だとか絶対的平和主義、非武装中立などという妄言が今の日本に蔓延る元凶は、やはり憲法第9条にあると考えます。

憲法第9条は何も考えない人には平和の権化のように思えるのかもしれませんが、少しでも考えてみれば、このような妄想的平和主義こそ侵略者を喜ばせるものであり、侵略戦争を誘発し、平和を乱すものでしかないのです。

ですから、小生は、まず憲法第9条を改正し、日本が中国やロシア、北朝鮮の軍事力と均衡を維持できる程度の自主的な軍事力を整備すべきであると考えています。

中共軍事独裁国家は、日本に核ミサイルの照準を向けているだけでなく、毎年信じられないペースで軍拡を続けています。この危険な覇権主義・膨張主義国家によるアジアでの侵略戦争を思いとどまらせるためには、日本も中共に対抗できるだけの核やミサイルを保有するしかないのです。

また、中共の軍事力は第一に台湾の解放=武力併合に向けられたものですから、日本の生命線である台湾を守るために、日本は集団的自衛権の行使を容認しなければならないのです。

核を保有し、集団的自衛権を認めろというと、左翼プロパガンダの影響で、条件反射的に危険だと思う方もいらっしゃるようですが、何も小生は中国と核戦争をしろと言っているわけではないのです。

小生が言っているのは、要するに、中共に戦争をさせないために憲法改正と核保有、集団的自衛権が必要なのだということです。

小生は、平和のために憲法を改正すべきだと考えています。

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2007年5月22日 (火)

憲法改正と朝日新聞 復古主義のレッテル貼りは通用しない

先週、書き損ねた話題で恐縮ですが、5月17日の朝日の社説を批判したいと思います。
朝日新聞は、安倍首相が熱心に取り組む憲法改正問題について、「復古主義」のレッテルを貼ることにしたようです。
しかし、復古主義のレッテル貼りなんて、まったく無益でしょう。もう少しマトモな議論はできないものでしょうか。

http://www.asahi.com/paper/editorial20070517.html

~~~引用開始~~~

党首討論―もっと憲法を論じよう

 ようやく今国会で初めての党首討論が実現した。安倍首相と小沢民主党代表が論戦を交わすのは昨年11月以来、半年ぶりのことである。
 この間、さまざまな出来事があったが、最大のテーマはなんといっても憲法改正の問題だ。首相は正月の記者会見で、改憲を夏の参院選挙で訴えると語り、その意欲を示すために与党をせかしにせかして国民投票法を成立させた。
 小沢氏が冒頭から、憲法を取り上げたのは当然のことだろう。首相の著書「美しい国へ」を引きつつ、次のように切り込んだ。
 「首相は『日本の国柄をあらわす根幹が天皇制』だという。首相の描く『美しい国』の根幹には天皇制がある。それが敗戦によって、占領軍によって憲法や教育制度が改変され、『美しくない国』になった。だから自分たちの手で作り直さなければならないということなのか」
 これまで首相が語ってきた改憲論ににじむ、復古主義の色を強調しようとの作戦だったのだろう。
 首相は「日本人が織りなしてきた長い歴史、伝統、文化をタペストリーだとすると、その縦糸は天皇だ」と応じ、伝統や歴史を重んじる国づくりへの思いを語った。
 興味深い論争になりそうだったのに、小沢氏があっさりとほかの話題に転じ、生煮えで終わってしまったのは極めて残念だった。
 だが、短い論戦から見えたこともあった。この60年間の戦後日本の歩みを語る時の、首相の批判的な視線である。
 教育改革をめぐって、首相は60年前の日本をこう評価した。「大家族で地域がみんな顔見知りで、子供たちを家族で、地域で教育していく仕組みがあった」
 それなのに、と首相は戦後日本を次のように批判する。
 「経済は成長したが、価値の基準を損得だけにおいてきた」「損得を超える価値、例えば家族の価値、地域を大切にし、国を愛する気持ち、公共の精神、道徳を子供たちに教える必要がある」
 時間が少なかったし、そう問われなかったということもあっただろう。だが、この60年、憲法の下で民主主義、人権、平和主義を培ってきた国民の「成果」に対する肯定的な評価は、安倍氏からはまったく聞かれなかった。
 では民主党は、あるいは長年の改憲論者である小沢氏自身は「戦後」をどう評価しているのか。そもそも安倍流の改憲論にどんなスタンスで臨むのか。賛成なのか、反対なのか。小沢氏はほとんど胸の内を語らなかった。
 党首同士が国の基本について論じ合う。それが党首討論なのに、肝心かなめの憲法の問題で自らの態度を述べないのでは、その意味がない。
 まだ会期は1カ月と少し残っている。できるだけ早く次の討論をもち、改めて真正面から憲法を論じるべきだ。

~~~引用終了~~~

■人権も民主も平和も否定しない安倍首相
朝日の言いたいことを整理すると、こういうことになるのでしょう。

戦前は民主も人権も平和もない「天皇制ファシズム」であったが、日本国憲法の下で民主、人権、平和が実現された。だから、日本国憲法を改正しようとする安倍首相は民主、人権、平和を否定するものであり、「天皇制ファシズム」に回帰しようとしている。

朝日の言っていることなんて笑い話にもなりませんが、安倍首相は価値観外交を提唱しており、自由、人権、民主、法の支配という価値観を共有する国との連携を模索しており、その成果もあげています。

安倍首相が憲法を改正し、集団的自衛権(の行使)を容認しようとしているのも、価値観を共有する国と連携して、アジアのならず者、中国と北朝鮮を抑止し、地域の平和と安定を実現するためです。

これに対し、朝日新聞は自由も人権も民主もない中国や北朝鮮を戦後一貫して支持し、賛美し続けており、その中国と北朝鮮こそ核やミサイルで日本をはじめとする周辺国の安全保障上の脅威となっている軍事独裁国家なのであり、北朝鮮は何の罪もない日本人を拉致する犯罪国家なのです。

安倍首相と朝日新聞のどちらが人権や民主、平和を尊重しているのか、考えてみれば直ぐにわかることです。

■安倍首相の意見に正面から批判できない朝日新聞
この社説を読んで朝日新聞というのは本当に姑息だと思ったのは、安倍首相の意見に正面から批判することができていないからです。

安倍首相は、戦後日本について、「経済は成長したが、価値の基準を損得だけにおいてきた」「損得を超える価値、例えば家族の価値、地域を大切にし、国を愛する気持ち、公共の精神、道徳を子供たちに教える必要がある」と批判しました。

要するに、安倍首相は、戦後の日本を金儲けしか頭にない国=美しくない国になってしまったと批判し、損得勘定を超えた価値を大切にする国=美しい国にしようと言っているのです。

安倍首相の指摘は、例えば、今の相次ぐ企業不祥事を見れば理解できることです。

ライブドアや村上ファンドは係争中なので置いておくとしても、雪印や不二家の不祥事は商道徳を忘れて金儲けに走った結果なのではないでしょうか。

また、西武や日興コーディアルの不祥事はどうなのでしょうか。日興コーディアルなんて日本の三大証券が不正会計に手を染めていたというのですから、もはや呆れて言葉もありません。

戦後の日本は、確かに経済は成長したのですが、損得勘定がすべてになってしまい、損得を超える価値があることを忘れてしまったという指摘は、まったくその通りなのではないでしょうか。

しかしながら、この安倍首相の意見について、朝日新聞は真正面から批判することができませんでした。完全にスルーしてしまっています。

おそらくは批判することができなかったので、「復古主義」のレッテルを貼って、安倍首相のいう憲法改正は危険だという印象操作をしたかったのでしょう。

今さら、こんな幼稚な印象操作に引っかかるほど思考の停止した日本人はそれほど多くはないと思いますが、参院選に向けて、朝日は「復古主義」のレッテル貼りで安倍首相を批判してくることも予想されるので、十分な警戒が必要なようです。

でも、まあ、今さら「復古主義」なんて言われてもねぇという気もしますけどね。

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2007年5月16日 (水)

国民投票法成立 北海道新聞はミニ朝日か?

地方紙は左が多いようで、気のせいか、左の新聞がある地方は左巻きの人が多いように思います。

小生が、左巻きの人が多いなぁと思っているのは中日新聞のある愛知県ですが、北海道新聞も負けず劣らずのようです。

北海道新聞の社説の前に、民主党の長島議員のブログをご覧ください。
これを読めば、民主党に非があることは明々白々です。

http://blog.goo.ne.jp/nagashima21/e/ed00ad1f0e09cd1e81ea24cf421030dd
http://blog.goo.ne.jp/nagashima21/e/aef5672e4e6e78bf64f5ccdd7c32e60b

北海道新聞の社説はこちらから(青字は引用部分です)。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/26036.html

国民投票法成立*合意努力なき見切り発車(5月15日)

オイオイ、自民党は民主党案をほとんど丸呑みしていたにもかかわらず、夏の参院選目当てに蹴飛ばしたのは民主党ですよ!
よくもまあ合意努力なき見切り発車などと言えたものです。曲がりなりにも新聞なのだから、事実に基づいて論評してね!

改憲手続きを定める国民投票法が、多くの欠陥を残したまま成立した。

欠陥があるとしたら、合意努力を怠った民主党の責任ですね。

安倍晋三首相が執念を燃やす、軍隊を持つ憲法への改憲論議が、この手続き法を前提に新たな段階を迎える。
平和主義を掲げてきた戦後の日本が大きくかじを切ったと言えるだろう。

はじまった、はじまった。危険な軍国主義というレッテル貼りですね。
でも、既に自衛隊という軍隊は保有しているわけであり、きちんと筋を通すためにも改憲は必要不可欠です。

法案は衆院と同様、与野党の一致が得られない中、参院憲法調査特別委員会、本会議とも、自民、公明などの賛成多数で可決された。

民主党の渡辺秀央議員も賛成しましたよ。なぜ賛成したのか?それは小沢民主党が国民投票法を参院選目当ての道具に利用しようとしたからでしょ。
安倍首相が強引に…という北海道新聞の主張が事実無根であることは、渡辺秀央議員の造反からも明々白々ですね。

与党は首相の強い意向を受けて、参院選という政治日程に絡めて採決を急ぎ、数による決着へと突き進んだ。

民主党は小沢一郎の強い意向を受けて、参院選という政治日程に絡めて自民党との協議を打ち切り、与党が強行採決したかのような印象操作へと突き進んだ、というのが正解でしょう。

国民投票法制定の趣旨は、国民意思を公正にとらえるルールを、どうつくるかにあった。与野党は、そのために論議を尽くし、幅広い合意を目指す責任があったはずだ。

自民党が民主党案をほとんど丸呑みして合意寸前まで行ったのに、小沢民主党がぶち壊しにしただけ。
http://blog.goo.ne.jp/nagashima21/e/aef5672e4e6e78bf64f5ccdd7c32e60b
要するに、自民党は責任ある行動を取っており、民主党も枝野議員ら現場は真摯に対応していたのに、小沢執行部が無責任だったというだけのこと!

だが、公聴会でも多くの疑問が出され、国民の意見も割れていることが明確になったのに、それを受けた真摯(しんし)な検討がなされたとは言い難い。

真摯な検討をしなかったのは、民主党の小沢執行部ですね。

国の最高法規である憲法にかかわる重要法が、このような経緯で成立したことは異常であり、遺憾と言わざるを得ない。将来に禍根を残すものだ。

確かに異常だ!自民党が民主党案を丸呑みしつつあったのに、選挙目当てで与党案に反対するという小沢民主党は!

*問題点がそのまま残った
私たちは、改憲への国民意思を公正に問う上で、法案の中身と審議の過程に問題があると指摘し、いったん廃案にすべきだと主張してきた。

国民に意思を問うこと自体に反対!というのが本音でしょ。

問題点は、数え上げるのに苦労するほどある。

数えるのに苦労するほどたくさんの問題点は指摘されていないんだけど。

極めて重要な議論として、憲法を変えるというのに投票率がいくら低くてもいいのかということがあった。
あまりに低い投票率で憲法が改定されるなら、承認自体の正当性が問われる。低投票率はそもそも、改憲機運が高まっていないことの表れだろう。
ところが投票法は最低投票率規定を持たず、ごく少数の賛成でも容易に改憲を承認できる仕組みになっている。

最低投票率規定を設けるということは、一定の場合、投票しなかった棄権票を反対票に数えるということになってしまうけど、投票しなかった人=改憲に反対じゃないんだよ!
ごく少数の反対、しかも、棄権した人の票も反対票に数えて、改憲を阻止する仕組みの方がおかしいだろ!

結局、北海道新聞の言っていることは、どのようにすれば民意を忠実に反映させることができるのかということではなくて、ただ改憲をさせないというだけだろ!

改憲を発議する側の国会が国民への広報まで担うことや、内容が関連する事項(条文)ごとの投票では正確な民意が示せない点にも疑問を呈した。
このほか、投票までの周知期間が最長百八十日で十分なのかや、公務員の国民投票運動の制限が意見表明の自由を侵害しかねないこと、資金力のある側に有利になる有料テレビCMのあり方なども、大事な論点だった。
こうした点について、論議は深まらなかった。与野党の合意が得られないのも当然のことだ。

民主党は、小沢執行部の鶴の一声で協議から逃げ出したのだから、与野党の合意が得られないのも当然ですね。
あと、どうでもいいけど、周知期間が最長180日で何が不満なの?半年だよ、半年!どう考えても十分でしょ。

*参議院の独自性見られず
参院特別委では約五十三時間の審議が行われたが、一カ月足らずでせかされるように日程を消化し、地方公聴会も事実上、聞き置くだけだった。
まず成立ありきで進んだと言える。

民主党が選挙目当てで協議を打ち切ったからでしょ。最大野党との合意が不可能になったのだから、お馬鹿な民主党は放置して、法案化に尽力するのは、国を預かる者として当然の責務を果たしたというだけのこと。

投票法は、投票権者の年齢を十八歳にする法制上の措置についても付則で処理を先送りするなど、完成度の低いものになった。

国政選挙等とのバランスは?そもそも20歳未満は私法上も単独で有効に法律行為をなす能力がないことになっているのだけど、それでも投票権を付与していいと思っているのかね。
他の法律との整合性を考慮するなんて常識中の常識でしょ。なんで批判しているのかまったく意味不明。それとも、法律ごとに、てんでバラバラになっても構わないと言っている?不思議な新聞だね。

与党と民主党の合意で、最低投票率の是非の検討や、公務員・教育者の投票運動規制の慎重運用など十八項目の付帯決議も行われたが、それは投票法が欠陥を含んでいることを、立法機関自らが認めたことにほかならない。

付帯決議なんかにしないで、与党と民主党の協議できちんと詰めればよかったのに、民主党は選挙目当てに駄々をこねるのだから、欠陥があるのは投票法ではなく民主党だね。

ならば、なぜもっと時間をかけて修正を含めた論議を続けなかったのか。与党は「審議が尽くされた」として中央公聴会の開催にも応じなかった。

民主党が選挙があるから合意はできないとか駄々こねたんだから、仕方がないでしょ。

憲法にかかわる重要法案であってさえ、主張の違いを詰めるより成立を優先し徹底審議をしようとしないのでは、参院の良識や独自性は発揮されなかったと言っていい。

何度も言いますが、自民党は民主党案をほぼ丸呑みしつつあったのに、主張の違いを詰めるより夏の参院選を優先し徹底審議をしようとしなかったのが民主党です!

施行までの間にさらに論議を続け、法改正を行うことも可能だ。不備を認識している以上、抜本的な見直しを行うことは、国会の責務であろう。

不備なら認識しましたよ、民主党にね。小沢執行部では民主党は腐る一方だとはっきりわかりました。

*具体的改憲論議に関心を

国民投票は改憲の是非一般を問うものではない。そのときの国会が発議する個別の改憲案に、改正権を持つ国民が賛成するかどうかを問うものだ。
見落としてならないのは、強引な成立過程の背後にある、改憲への具体的な動きである。

おいおいおい、強引な成立過程だって?よくこんな嘘を書けるなぁ。
民主党案をほぼ丸呑みしつつあった自民党が、強引に成立させたと言うのですかね?

首相は自民党の「新憲法草案」を基本に改憲を参院選の争点とするとし、戦争の反省から生まれた九条を「時代にそぐわない」とやり玉に挙げる。
草案は、戦力不保持、交戦権の否認を定めた九条二項を削除し、海外でも軍事力を行使できる「自衛軍」を保持することをうたっている。

また言ってるよ。いつか来た道とか言いたいんだろうけど、もう少し国際情勢の変化とか考えた方がいいんじゃないの?
日本の周囲には反日を国是としている国が3つもあり、そのうち2つは軍国主義国家で、核だ!ミサイルだ!と言っている国ですぞ。
それに、戦争の反省から生まれた9条ってなに?アメリカが勝手にそう書いただけでしょ。

投票法の施行は三年後だが、参院選後の国会で両院に憲法審査会が置かれる。改憲案の審査・提出は法施行まで行わないが、自民党は改憲案骨子や要綱の作成は可能との見解を示している。改憲論議は加速されるだろう。

国を守るためには改憲論議を加速させなければならないの。
売国しか頭にない反日新聞と違って、安倍首相は国(民)を守るという重責を担っているわけ。だから改憲に熱心なの。

ただ現状では、世論は平和主義の基本である九条の改憲について否定的だ。与党と民主党との協調関係も崩れた。すぐに九条改憲に持ち込むことが難しいとなると、その他の条文を先行する段階的な改憲もあり得る。
その場合、各議院の三分の二以上の賛成を必要とする改憲発議の高いハードルを、まず一般の法律並みの二分の一以上に引き下げ、その上で九条改憲を発議する道筋も想定される。

いいじゃない。とってもいいことじゃない。

この夏の参院選以降、国政選挙の当選者は投票法施行後の具体的な改憲発議にかかわる可能性が高い。

是非、そうして欲しい

改憲が選挙の直接の争点か否かによらず、有権者の選択の一つ一つが結果として改憲を方向づけるようになる。国民の投票行動にも覚悟が必要だ。

結局、憲法改正に反対だ!と言いたかっただけなんでしょ。

*読みやすさを考慮して、引用部分を斜体に変更しました(19.5.21)。

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2007年5月15日 (火)

国民投票法は成立したけれど

国民投票法がようやく成立しました。

少し前であれば国民投票法なんて夢のまた夢でしたから、時代の急速な変化を感じざるを得ません。

しかし、施行が3年先というのは、いくらなんでもノンビリしすぎるのではないでしょうか。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070514ia21.htm

~~~引用開始~~~

国民投票法が成立、首相「国民とともに議論進めたい」
 安倍首相は14日夜、憲法改正の手続きを定める国民投票法が成立したことについて、「憲法96条で定めている改正手続きについて法的な整備が整った。立法府として責任を果たされたと思う。敬意を表したい」と述べた。首相官邸で記者団の質問に答えた。

 首相は、「施行は3年先で、その間、落ち着いた環境の中で議論していくことが大切だ。自民党はすでに(新憲法)草案を取りまとめており、国民とともに議論を進めていきたい。参院選は議論を進めていく上でいい機会だ」と語り、夏の参院選でも憲法改正の重要性を訴えていく考えを示した。

(2007年5月14日22時49分  読売新聞)

~~~引用終了~~~

■まずは国民投票法の成立を歓迎したい
憲法に改正規定(96条)があるにもかかわらず、左翼護憲派の反対によって国民投票法すら制定することができないという異様な自体が続いてきました。

国民投票法というのは、もちろん、憲法改正そのものではなく、改正の是非を国民に問うためのものですから、護憲派といえども国民投票法の制定に反対するのはおかしな話です。

国民ですら憲法を改正できないのであれば、主権在民なんて形骸に過ぎないでしょう。国民に改正の是非を問うことすら反対してきた左翼は、国民主権を蔑ろにするものにほかならないのであり、厳しく批判されるべきです。

しかし、時代は変わり、ソ連も崩壊してしまい、人々は左翼やマルクス主義には興味を持たなくなってきており、左翼は衰退してきました。

そして、ようやく国民投票法を成立させるところまでやってきたのですから、そのこと自体は歓迎したいですし、正直なところ、感慨深いものがあります。

■施行が3年先とはノンビリ過ぎないか?
しかし、感慨に浸っていられるほど国際情勢はのんびりとはしていません。国民投票法の最大の問題点は施行が3年も先ということです。

つまり、国民投票法が成立したといっても、実際に憲法改正の是非を国民に問うことができるようになるのは3年後です。

もちろん、それまでの間は憲法を改正することはできません。しかし、いくらなんでも3年先では遅すぎないでしょうか。

小生の意見では、日本の安全保障上、最大の脅威になっているのは中国です。

中国は、来年の北京五輪、平成10年の上海万博までは大人しくしているけれども、その後はついに露骨な覇権主義・膨張主義に転じてくるのではないかと指摘する声があります。

本来であれば、日本は中共が露骨な覇権主義・膨張主義に転じる前に、憲法を改正して、中共に対抗できるだけの戦力を整備すべきでしょう。

憲法が改正できるようになるのが3年後ですと、中共が露骨な覇権主義・膨張主義に転じるとのどちらが早いのか、時間との戦いになりそうです。

■中共の大軍拡の狙いは日本と台湾に戦わずして屈服させることか?
もっとも、小生は中共が突然、日本に核を放ったり、戦争を仕掛けてきたりはしないと思います。中共というのは、そういう馬鹿なことをやる国ではないでしょう。

「孫子」にも、戦って勝つよりも、戦わずして勝つ方がよいという趣旨のことが書いてあります。

中共としても、日本や台湾に武力行使して世界中から非難されるよりも、圧倒的な軍事力によって、日本と台湾に戦わずして中共に屈服させることを目的とし、それが無理であれば、武力行使という二段構えの作戦を遂行してくるのではないかと予測しています。

もちろん、日本と台湾が中共に屈服すれば、アメリカはアジアから撤退せざるを得なくなり、アジアは中共が支配することになります。中共の究極の目標はそこにあるのでしょう。

日本は、少なくとも沖縄は取り上げられてしまうのではないでしょうか。中共にしてみれば、台湾も沖縄も潜在的領土であることに変わりはないはずです。

■改憲なくして日本なしか?
中共が本来の覇権主義・膨張主義を露にしたとき、その凶暴性は日本をはじめとするアジア各国に深刻な被害をもたらすでしょう。

日本も、沖縄を取り上げられるだけでも大変なことですが、それだけですむとは考えられません。

日本の国家として、民族としての象徴である天皇制を廃止させられるかもしれません。

日本の精神的支柱である天皇制を廃止させられたら、日本人は民族としての統一を維持することができるのでしょうか。

おそらくは、民族としてバラバラになってしまい、日本人という民族は歴史から消滅してしまうのではないでしょうか。

そうなりたくないのであれば、そうならないための対策を今から講じなければならないはずです。

その対策とは、何度も書いていますが、憲法を改正し、集団的自衛権(の行使)を容認し、核を保有することです。

そうしなければ、日本が日本であり続けることは、極めて困難でしょう。憲法改正は急務のはずです。

もちろん、安易で拙速な憲法改正は避けるべきではありますが、憲法改正なんてもう何十年も議論されてきたことなのです。

今さら改正しても、安易でも拙速でもないはずです。憲法改正は今までに十分に議論してきましたし、もう議論などしている時期ではないはずです。

■筋を通した渡辺秀央議員
国民投票法をめぐる民主党の動きには、ほとほと呆れ果てていました。

しかし、民主党にも心ある議員がいるのです。渡辺秀央議員が賛成票を投じました。

http://www.asahi.com/politics/update/0514/TKY200705140351.html

~~~引用開始~~~

民主・渡辺元郵政相が造反賛成 国民投票法案採決
2007年05月14日20時08分

 民主党執行部は、14日の参院本会議での国民投票法案採決で与党案に賛成した渡辺秀央・元郵政相を厳重注意の処分とする方向で検討に入った。渡辺氏は「選挙戦術の道具として賛否の方向が決められた感が強い。不純なものを感じていた」として小沢氏の手法への不満を強めており、民主党内では、与党から「一本釣り」される
ことを懸念する声も出ている。

 渡辺氏は小沢代表が党首を務めた旧自由党出身だ。もともと小沢氏に近かったが、最近は参院選対策などをめぐり小沢氏への批判、不満を強めてきた。この日、記者団には「憲法問題に限った国民投票であるべきだと主張してきた。最初から賛成だった」と語った。

 渡辺氏は04年参院選の比例区で民主党公認で19位で当選し、夏の参院選は非改選。民主党内では、参院選で与党が過半数割れした場合には、同党議員が与党に「一本釣り」される危険性を指摘する声が強く、渡辺氏にも「切り崩されないようにしないといけない。渡辺さんは危ない」(中堅議員)との声がある。

~~~引用終了~~~

渡辺議員の考え方に、まったく異論はありません。

小沢民主党は夏の参院選にむけた選挙戦術の道具に国民投票法を利用しようとしたのです。国の根幹にかかわる問題であるにもかかわらず。

小沢一郎の不純な政治手法に異を唱え、あくまでも信念を貫いた渡辺秀央議員の勇気ある行動には、本当に感激しました。

それにしても、他の民主党議員は何をやっているのか。たかが党議拘束くらいで金魚のフンみたいに小沢についてまわるだけでは、国も何も守れません!

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2007年5月13日 (日)

国民投票法案 嘘も平気な朝日の社説

朝日新聞が国民投票法案について、社説で吠えています。今日は時間がないため、ごく簡単に批判するにとどめます。

~~~引用開始~~~

国民投票法案―60年後の不幸な出発

 憲法改正の是非を問う国民投票の仕組みを定める法案が、参院の特別委員会で可決された。週明けには本会議で採決され、成立する見通しだ。

 あれよあれよという間に、憲法改正の手続き法ができてしまう。そんな感想を持つ人が少なくないのではないか。いずれ作らねばならない法律だとはいえ、中身や問題点について十分に周知されたとはいいがたい。

 実は60年前に、国民投票がもっと現実味をもって語られたことがある。

 憲法が施行される直前の1947年3月30日、「新憲法を再検討 国民投票の実施も考慮」という見出しの記事が、朝日新聞1面トップに掲載された。

 新憲法は、本当に日本国民の自由な意思に基づくものなのか。それを確かめるために、2年以内に修正の必要性を検討し、必要なら国民投票を行って修正しても構わない。連合国がそう日本に指示した。そんな内容だ。

 官民でさまざまな検討があったが、2年後、当時の吉田茂首相は国会で「改正の意思はない」と表明し、国民投票の可能性は消えた。その後、憲法はそのまま定着していく。

 憲法に関して、主権者である国民の意思を問う。それが国民投票の趣旨だ。もし憲法を改正するというなら、その改正に正統性を与えるための重要な手続きである。改憲そのものと同じように、投票のルールもできるだけ幅広い合意によるものでなければならない。

 しかし、きのうの参院特別委員会の採決は、衆院と同様に自民、公明の与党が数の力で野党を押し切る不幸な展開となった。

 その第1の責任は安倍首相にある。7月の参院選で憲法改正を訴えると意欲をみなぎらせたために、投票法をめぐる議論を「政治化」させてしまったからだ。

 本来このルールづくりは、改憲そのものへの態度と関連させてはならないことだった。どうやって民意を正確につかむかが主たる論点であるべきなのに、首相が政権戦略に改憲を位置づければ野党が身を硬くするのは当然だ。

 首相にしてみれば、60年間手がつかなかった投票法をつくるだけでも、参院選で安倍カラーを売り込む大きな材料になるという計算があるのだろう。

 民主党にも、首相のそうした姿勢を逆に参院選での攻撃材料にしたいという思惑が働く。

 衆院でこの法案が可決された時、私たちは参院で廃案にすべきだと主張した。憲法にかかわる重要な法案なのに、最低投票率制の問題をはじめ、さまざまな論点が生煮えのまま残っている。選挙などへの思惑から短兵急に決着させるのは間違いだ。

 今回の見切り発車で野党は硬化し、今後の憲法論議は進みにくくなるだろう。60年たって成立する投票法が、むしろ改憲を遠のかせる。皮肉というほかない。

~~~引用終了~~~

朝日新聞は、安倍首相を貶めるためならば、嘘もまったく気にしないということなのでしょう。

しかし、きのうの参院特別委員会の採決は、衆院と同様に自民、公明の与党が数の力で野党を押し切る不幸な展開となった。

その第1の責任は安倍首相にある。7月の参院選で憲法改正を訴えると意欲をみなぎらせたために、投票法をめぐる議論を「政治化」させてしまったからだ。

http://blog.goo.ne.jp/nagashima21/e/ed00ad1f0e09cd1e81ea24cf421030dd

http://nonki-nihonjin.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_b5cb.html

もう何度も書いていますが、自民党は民主党案を丸呑みする形で協議していたのです。
にもかかわらず、民主党が蹴飛ばしました。その理由はもちろん参院選での与野党対決を演出するためでしょう。

だから、この責任は民主党だけにあるのです。民主党がお馬鹿なことをしなければ、与党と民主党の双方が納得する形で法案化されていたことでしょう。

それにしても、朝日新聞は、なぜ嘘をついてまで安倍首相を貶めるのでしょうか?
こんな嘘に国民が簡単に騙されるとでも思っているのでしょうか?
こんなお馬鹿な社説を書いてしまって、本当に馬鹿にされているのは朝日の方だということに気付くのはいつのことやら。

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2007年5月12日 (土)

国民投票法案、参院委員会にて可決! 愚かなのは民主党ではないのか?

国民投票法案が参院委員会にて可決しました。14日の本会議で成立する見通しです。

早速、野党が批判していますが、どう考えても愚かなのは野党、とりわけ民主党ではないのでしょうか。

http://www.asahi.com/politics/update/0511/TKY200705110310.html

~~~引用開始~~~

野党「愚かな選択」「暴挙」 国民投票法案参院委採択
2007年05月11日20時48分

 国民投票法案の参院委員会可決について民主党の鳩山由紀夫幹事長は11日、記者会見で「安倍首相は自ら得点を稼ぎたいという思いで法案の成立を急いだのだろうが、誠に愚かな選択をした。これからの憲法の議論にどのように暗い影を落としていくか計り知れない」と語った。

 共産党の志位委員長は「国民を全くないがしろにした暴挙だ。なぜ最低投票率を設けないのか。国民の1割台、2割台の賛成で憲法を変えてしまって良いのか」、社民党の福島党首は「はらわたが煮えくりかえる思い。国民、憲法、民主主義に対する冒涜(ぼうとく)だ」と批判。国民新党の亀井久興幹事長は「与党は中身の議論が
十分に尽くされていないのに結論を急いだ」と述べた。

 一方、鳩山氏は採決を受け入れた理由について「民主党として対案を提出し、対案についても議論した」と説明したが、共産、社民、国民新3党は「自公の暴走に手を貸した責任は免れない」(志位氏)などと民主党の対応に批判、不満の意を示した。

~~~引用終了~~~

■国民投票法は当然に制定・施行されるべきだ!
国民投票法に反対している人に言いたいのは、国民主権とは何と心得ているのかということです。

国民主権というのは、国家権力の正当性の根拠が国民に由来することを意味し、憲法というのは国民が国家に対して正当性を付与する契約です。

したがって、憲法を制定するのも、改正するのも、廃止するのも、すべて国民が決定すべきであり、国民投票法というのは憲法改正という国民の主権行使のための手続法なのですから、国民投票法の制定に反対するというのは、国民主権を蔑ろにすることにほかならないのです。

今までは、憲法に改正規定(憲法96条)が存在するにもかかわらず、国民が主権を行使して憲法を改正することができませんでした。これでは国民主権なんて名ばかりであり、このような状態を放置しておくことは許されません。

それにしても、反対論者たちは、国民投票法の制定に反対するということ自体、国民主権を蔑ろにしていることに気付いているのでしょうか。

■護憲は国民投票法の制定に反対する理由にはならない
護憲派はほとんどが国民投票法に反対していますが、護憲は国民投票法の制定に反対する理由にはならないのではないでしょうか。

国民主権である以上、憲法を改正するのも改正しないのも、憲法と国民投票法に定める手続に従って、国民が決定すべきであることは言うまでもありません。

小生は改憲論者ですが、国民投票の結果、国民の承認が得られなかったのであれば、愚かな選択であったとは思いますが、その結果は受け入れるつもりです。

しかしながら、国民に賛否を問うこと自体に反対するというのは、明らかに国民主権・民主主義のルールを逸脱しています。

国民投票の結果、国民の承認が得られれば憲法を改正し、承認が得られなければ改正しないというのが、国民主権・民主主義のルールのはずです。

社民党の福島瑞穂は「はらわたが煮えくりかえる思い。国民、憲法、民主主義に対する冒涜(ぼうとく)だ」と言っているようですが、憲法を改正されたら困るから、国民投票法の制定に反対するという方が、よっぽど国民、憲法、民主主義に対する冒涜なのです。

■最も愚かな選択をしたのは民主党だ!
民主党の鳩山由紀夫は、「安倍首相は自ら得点を稼ぎたいという思いで法案の成立を急いだのだろうが、誠に愚かな選択をした。これからの憲法の議論にどのように暗い影を落としていくか計り知れない」と発言したそうですが、「誠に愚かな選択をした」のは、誰がどう考えても民主党でしょう。

この点は、既に当ブログでも批判しましたが、与党と民主党の協議は民主党の意見をほぼ丸呑みする形で推移していたのです。

民主党の長島昭久議員は、このように語っています。

http://blog.goo.ne.jp/nagashima21/e/ed00ad1f0e09cd1e81ea24cf421030dd

衆議院の憲法特別委員会の筆頭理事であり、民主党の憲法調査会長も兼ねる枝野代議士のリーダーシップと粘り強いネゴシエーションの結果、国民投票法案については、自民党側が大幅に譲歩し、国民への周知徹底を図るため告示期間を十分に取り、白票まで賛成に数えるなどといったいかがわしい試みは斥けられ、より多くの国民に
参加してもらうため投票権も18歳まで引き下げられ、ほとんど民主党案が丸呑みされる形で推移している。与野党協議では、もう一歩のところまで来ているのだ。

自民党が民主党案を丸呑みせざるを得なかったのは、憲法改正の発議をするためには、各議院の総議員の3分の2以上の賛成が必要であり、民主党の協力がなければ憲法を改正することは事実上不可能だからです。

ですから、自民党と民主党の協議では民主党が圧倒的に優位な立場にあったはずであり、よほど不合理な要求でなければ、民主党の意見はほとんど反映せざるを得なかったでしょう。

鳩山由紀夫は、「民主党として対案を提出し、対案についても議論した」などと言っていますが、その対案も、与党との協議でぶつければ、ほぼそのまま受け入れられた可能性だって十分にあったはずなのです。

そうであるにもかかわらず、民主党は夏の参院選での与野党対決を演じたかったのでしょう、最後の最後で自民党案に反対することになってしまったのです。

国民投票法案の審議過程を見れば、「誠に愚かな選択をした」のが民主党であることは明らかでしょう。

鳩山由紀夫の無責任極まりない発言を聞くと、やはり民主党には政権担当能力など皆無に等しいのではないかと言いたくなります。

■最低投票率についての規定も不要だ!
共産党の志位和夫は「国民を全くないがしろにした暴挙だ。なぜ最低投票率を設けないのか。国民の1割台、2割台の賛成で憲法を変えてしまって良いのか」と言っています。

しかし、小生は最低投票率の規定は不要だと考えます。

まず、そもそも憲法改正の発議には、各議院の総議員の3分の2以上の賛成が必要とされています。要するに、国民の代表の3分の2以上の賛成という厳しい要件が課されているのです。最低投票率の規定がなくても、国民の意見は十分に反映されていると言えるのです。

次に、公職選挙法も、最低投票率については規定されていません。国民投票の場合だけ最低投票率を規定しろというのは、憲法を改正させたくないというだけのことではないでしょうか。

そして、投票しなかった有権者というのは、憲法改正に反対したわけではありません。もちろん、賛成したわけでもありません。

投票しなかった有権者は、投票した有権者の判断に委ねたと考えられます。そんなつもりはないというのであれば、投票すればすむだけの話なのです。

選挙であれ、国民投票であれ、投票しなかった有権者は、投票した有権者の判断に委ねたと解釈されるべきであり、そうであれば、最低投票率について規定する必要はありません。

したがって、小生は、最低投票率の規定は不要であると考えます。

■憲法改正へ向けて充実した議論を!
国民投票法については、民主党は誠に愚かな選択をしてしまいましたが、憲法を改正するには与党単独では事実上不可能であり、民主党の協力が不可欠です。

民主党案を丸呑みする形で推移していた自民党との協議を、選挙目当てに蔑ろにする民主党など、言語道断です。

民主党は、国民投票法での愚かな対応を猛省して、憲法改正については与党と真摯に協議し、真に国民のための憲法改正が実現するように誠実な対応をすべきです。

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2007年5月 4日 (金)

平和のための憲法改正を

■レッテル貼りから中身のある議論へ
憲法改正というと、相変わらず、日本が再び戦争をするために憲法改正だとか、いつか来た道だとかいつもながらに批判を浴びてしまいます。

それでも、少し前までは憲法改正など議論すらすることができない雰囲気があったのに、今では堂々と改正の中身の議論ができるようになったのですから、時代は変わりつつあると思います。

しかしながら、未だに憲法改正というだけで戦争屋のレッテルを貼ろうとする風潮があるので、今日はこの点について検討します。

■戦争をするための憲法改正ではない
護憲論者は、憲法を改正すると、日本がどんどん(侵略)戦争をするようになるので、憲法を改正するべきではないと主張します。

しかし、本当にそうなのでしょうか。なぜ、憲法を改正すると日本は戦争を始めるといえるのでしょうか。日本に戦争を始めなければならない理由が何かあるのでしょうか。

そもそも、戦争というのは国と国との利害のぶつかり合い、利権の衝突が引き起こすものです。

日清戦争は、朝鮮半島をめぐる日本と清との利害が、日露戦争は朝鮮半島をめぐる日本とロシアの利害が衝突したことが原因でした。

今、日本が憲法を改正しても、日本の方から積極的に戦争を仕掛けなければならない理由があるとは思えません。

改憲論者は、日本がこれからどんどん戦争をするために憲法改正を主張しているのではないのです。

妙なレッテル貼りはやめて欲しいですものです。

■やはり自衛隊は憲法違反ではないのか?
それでは、憲法、特に9条は、なぜ改正しなければならないのでしょうか。

小生の意見は、単純明快です。まず、自衛隊は憲法9条に違反していると考えるからです(もっとも、自衛力は必要でも、憲法改正は事実上不可能なので、解釈改憲でお茶を濁してきたことを、全面的に否定するつもりはありませんが、それも、そろそろ止めにするべき時がきたように思います)。

念のため、憲法第9条を引用しますと、このように書いてあります。

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

細かい憲法解釈の問題はここでは議論しませんが小生には、自衛隊が憲法9条に違反していないとは到底考えられません。

憲法にこのように書いてあるのであれば、自衛隊でもなんでも呼び方はいいのですが、国を守るために戦力を保持するのであれば、憲法を改正するという正式な手続を経て行うのが筋でしょう。

また、先日、韓国が親日派の財産を没収したところ、これは韓国の憲法に違反しているとの指摘がありましたが、憲法に戦力を保持しないと書いてあるにもかかわらず、自衛隊という戦力を保持している日本が韓国を批判できるのでしょうか。

やはり、日本は自衛隊であれ軍隊であれ、戦力を保持するというのであれば、憲法を改正すべきです。日本人自身が、国を守るために何が必要なのかを考え、その結論を憲法に記すべきなのです。それが国民主権というものでしょう。

その結果、日本は戦力を保持すべきではないとなれば、小生には馬鹿げた結論だとは思いますが、その結論には従わざるを得ないでしょう。それが民主主義というものです。

逆に、やはり国を守るためには戦力が必要であるとなれば、憲法にもそのように明記すべきですし、それを否定することは許されません。

ましてや、国民投票法に反対して、国民に改正の是非を問うことすら否定しようとするのは民主主義の否定にほかならないのではないでしょうか。

■日本さえ戦争を起こさなければ平和は維持されるのか?
憲法を改正すると戦争になる…こういうレッテル貼りが未だに横行しています。

しかし、憲法を改正すると戦争になる/憲法を改正しなければ戦争にはならない=平和になる、という発想は、小生にはその根底に自虐史観があるように思えてなりません。

この発想は、戦争という悪を行うのは日本であって、悪の日本さえ戦争をしなければ、世界の平和は維持されるとでも考えているのでしょう。

しかし、日本がいくら戦争は嫌だ!平和がいい!と言ってみたところで、そんな日本の願いを踏みにじって日本に戦争を仕掛けてくる国があるかもしれないのです。

実際に、中国は日本に向けて核ミサイルの照準を合わせていますし、北朝鮮はグアムにも届くミサイルを開発し、もちろん日本全土が射程距離内ですし、今また核を保有しようとしています。

これでも、日本さえ戦争を起こさなければ、日本の平和は維持できるのだと言えるのでしょうか。

たとえどんなに日本が平和を望んでも、日本の希望などお構いなしに日本を攻撃してくる国があるかもしれない。安全保障を考えるのであれば、そういう最悪の事態も想定すべきであることは当然です。

自虐史観に呪縛されて、悪の日本さえ戦争をしなければ、戦争という悪はなくなるなどと妄想してみたところで、平和は維持できないのです。

■平和のためにも憲法を改正すべき!
戦後の日本人は、軍事アレルギーを発症して、とにかく軍事的なものを敬遠し、自衛隊にも可能な限り戦力は持たせないようにすべきであり、それが平和に資すると考えてきました。

しかしながら、小生の意見では、戦力というのは均衡していなければならないのであり、その均衡が崩れると戦争が生じる可能性が高まるのです。

そもそも、均衡を失した戦力に何の意味があるのでしょうか。戦えば負けるに決まっている戦力では抑止力にはならないのです。

今、中国は物凄い勢いで軍拡を進めています。中台間の軍事バランスも中国に有利になりつつあり、日中間の軍事バランスも同様です。

日本人が軍事アレルギーを発症している間に、軍事バランスが中国に一方的に有利な方向で均衡を失することになれば、中国は軍事力を行使することに躊躇しなくなるでしょう。

そうならないためには、日本の戦力が中国の戦力と均衡していなければならないのであり、そうしないと平和は維持できません。

日本は、中国の軍事的野望を阻止し、平和を維持するために中国と戦力を均衡させなければならないのですが、そのためには日本人の軍事アレルギーの根源ともいうべき憲法9条は改正しなければならないはずです。

日本は、憲法を改正して、国を守る意思をきちんと内外に示し、自衛軍を保有し、集団的自衛権の行使も容認し、核兵器を保有し、これによって中国の軍事的野望を阻止する。これこそが日本が進むべき平和への道だと考えています。

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2007年5月 3日 (木)

自主憲法を求めるのは当然ではないのか?

朝日新聞が、爆笑問題の太田さんを引き合いに出して、憲法改正に反対しています。

http://www.asahi.com/paper/editorial20070502.html

15年も続いた戦争とは何か?

お笑いコンビ「爆笑問題」の太田光さんは、ベストセラー「憲法九条を世界遺産に」のなかで、憲法の制定過程についてこう語っている。
「日本人の、15年も続いた戦争に嫌気がさしているピークの感情と、この国を二度と戦争を起こさせない国にしようというアメリカの思惑が重なった瞬間に、ぽっとできた。これはもう誰が作ったとかいう次元を超えたものだ」「この憲法は、敗戦後の日本人が自ら選んだ思想であり、生き方なんだと思う」

まず事実に基づいた議論をして欲しいと思いますが、「15年も続いた戦争」というのは、満州事変(昭和6年)から日本敗戦まで日本と中国は戦争をしていたという意味でしょう。

しかしながら、満州事変は2年後の塘沽協定で終結しているのですから、「15年も続いた戦争」というのは間違いです。

太田さんが日中15年戦争という「左翼史観」を無批判に受け入れるのはご自身の勝手ですが、それを本に書いてしまうのはいかがなものか。

とりわけ、太田さんのような影響力の大きい人が、このようなことを言っているのは大いに疑問です。

自主憲法を制定するのは当然ではないのか?

さて、日本国憲法が「日本人の、15年も続いた戦争に嫌気がさしているピークの感情と、この国を二度と戦争を起こさせない国にしようというアメリカの思惑が重なった瞬間に、ぽっとできた」というのが事実とは思えませんが、今回、問題にするのはそこではありません。

問題なのは、「これはもう誰が作ったとかいう次元を超えたものだ」と言っていることです。

それは、おかしいでしょう。いったい太田さんは国民主権とは何のことだと考えているのか。

国民主権とは、言うまでもないことですが、権力の正当性の根拠が国民に由来する(しなければならない)ことを意味しています。そして、憲法とは国家と国民との契約であり、憲法によって国家は国民から権力の正当性を付与されるのです。

しかしながら、もしもアメリカが憲法を作ったというのであれば、それでは国民主権ではなくなってしまうではないですか!

いかなる国の憲法であれ、憲法制定までにいかなる経過があれ、「誰が作ったとかいう次元」は絶対に超えることなど許されないのです。それでは、国民主権なんてどこかに吹き飛んでしまいます。

憲法というのは、誰に命令されるのでもなく、誰に押し付けられるのでもなく、国民が自らの力で制定すべきものなのです。

どこの国も、国民が自ら憲法を制定して自分たちの国を築き上げているのです。同じように、日本人も、自らの力で自らの国を築く。それが、なぜいけないことなのでしょうか。

改憲派は自由も平等も否定していないのではないか?

男女の平等が保障され、だれもが選挙権をもつ。何を主張をしようと、どんな宗教を信じても自由であり、不敬罪や治安維持法などは存立しえない社会になった。天皇から国民へ主権が移り、国民が主人公になった。
太田さんたちが評価するのは、この自由と民主主義の価値が憲法によって日本にもたらされ、さらには戦後社会に深く根付いたということだろう。
不思議なのは、憲法について否定的なことを言う安倍氏が、自由や民主主義の価値を語るときはうってかわって肯定的な姿勢に転じることだ。いまや、外交政策の「十八番(おはこ)」に使っている。
「戦後」に問題がなかったわけではないし、憲法に改めるべき点があってもおかしくはない。しかし、憲法がもたらした自由と民主主義の価値は、発展させるべきではあっても、脱却するものでは決してない。

これも、日本国憲法によって自由や平等がもたらされた→憲法を改正すると自由や平等が失われる危険があるという印象操作なのでしょう。

もちろん、改憲派も自由や平等を否定するつもりは毛頭ないのです。安倍首相も同様でしょう。

ちなみに、この自由を最も謳歌しているのが朝日ではないでしょうか。右翼テロではないものを右翼テロであるかの如く印象操作を繰り返し、週刊朝日は、卑劣な手段で安倍首相を貶める。どこまで言論の自由を濫用すれば気がすむのでしょうね。

改憲阻止は中国のためか?

不思議なのは、憲法について否定的なことを言う安倍氏が、自由や民主主義の価値を語るときはうってかわって肯定的な姿勢に転じることだ。いまや、外交政策の「十八番(おはこ)」に使っている。
「日本と米国は普遍的な価値を共有している」として、日米同盟の強化を言う。「共通の価値」を持つ豪州やインドと連携して中国を牽制(けんせい)する。NATO(北大西洋条約機構)とも連携する。総称して「価値の外交」とも呼ばれる。

朝日の本音がここに現れましたね。

要するに、朝日は、日本がアメリカやオーストラリア、インド、NATOと連携して中国を牽制するのが気に入らないから、憲法改正に反対なのでしょうね。

しかしながら、中国は、台湾どころか、沖縄すら潜在的には中国領だと言っている国なのです。だから、日本の安全保障上の最大の脅威は中国に決まっているのであり、対応を誤れば、日本は沖縄を失うかもしれないのです。

それに、小生には、どう考えても今の日本が中国と戦争をして勝てるとは思えません。

ですから、日本を守るという国として最低限度のことを実行するためには、憲法も改正しなければならないですし、単独で中国に勝てないのであれば、アメリカやオーストラリア、インド、NATOと軍事協力を進めなければならないですし、そのためには集団的自衛権の行使も容認しなければならないはずです。もちろん、日本は核も保有しなければならないのです。

9条だけでもいいんじゃないの?

「戦後」に問題がなかったわけではないし、憲法に改めるべき点があってもおかしくはない。しかし、憲法がもたらした自由と民主主義の価値は、発展させるべきではあっても、脱却するものでは決してない。
首相は雄弁に改憲を主張するものの、9条改正以外に、目指すべき方向はほとんど語ろうとしない。だが、改憲を言うなら、まず「戦後」をきちんと語るのが先だろう。
それなしに新しい「美しい国」へ誘(いざな)うのは、国民を惑わすだけだ。

9条がもっとも問題なのですから、9条を中心に論ずるのはむしろ当然でしょう。

護憲で国は守れないところまできてしまったのです。9条の改正は急務なのですから、安倍首相には9条を中心に語ってもらいたいものです。

朝日は「戦後」をきちんと語れと言いますが、別に安倍首相は自由も民主主義も否定するわけではないのに、何を語れというのでしょう。

それに、国民を惑わせているのは、朝日新聞としか思えませんけどね。

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~~~引用開始~~~

憲法60年―戦後からの脱却より発展を

 日本国憲法はあす、満60歳になる。

 60回目の記念日を迎える環境は、これまでとはだいぶ違う。時の安倍首相が「改憲を政治日程に乗せる」と明言し、7月の参院選挙では争点にしたいと意気込んでいるからだ。

 そのための手続き法である国民投票法案が、間もなく国会で成立する運びだ。これだけ空気がざわつくのは初めてのことだろう。

 なぜ憲法改正が必要なのか。安倍氏は雄弁に語ってきた。そのポイントは次のようなものだ。

◇祖父譲りの改憲論

 いまの憲法は占領時代に、GHQ(連合国軍総司令部)の素人が短期間で書き上げ、日本に押しつけたものだ。時代は移り、9条など現実にそぐわない条文も出てきた。国の基本法である憲法を、国民自らの手で白地から書くという決意と精神によって、この国に改革の気概がみなぎってくる。そうすることで精神的に占領を終わら
せることになる――

 占領時代とか、GHQの押しつけとか、今の若者世代にはぴんとこない表現だろう。それもそのはずだ。こうした論法は、首相が尊敬してやまない祖父、日米開戦時の閣僚だった岸信介元首相らが半世紀も前に言っていたことだった。「占領の後遺症の根絶」「真の独立の回復」などがキーワードだった。

 そもそもは敗戦や米軍による占領への屈辱感が根底にあったに違いない。だが、憲法ができて年月がたつうちに、攻撃の対象は「押しつけ憲法」「占領」から、それに基づいて形づくられた戦後日本の歩みそのものにも向かざるを得なくなる。

 「戦後レジームからの脱却」を言う安倍首相から、「戦後」に否定的な視線が感じられるのもそのためだろう。

 さて、そんな安倍氏とはまったく逆に、憲法によって戦後日本は世界史にもまれな幸運なスタートを切ったという見方もある。

◇「日米合作」の反論

 お笑いコンビ「爆笑問題」の太田光さんは、ベストセラー「憲法九条を世界遺産に」のなかで、憲法の制定過程についてこう語っている。

 「日本人の、15年も続いた戦争に嫌気がさしているピークの感情と、この国を二度と戦争を起こさせない国にしようというアメリカの思惑が重なった瞬間に、ぽっとできた。これはもう誰が作ったとかいう次元を超えたものだ」

 「この憲法は、敗戦後の日本人が自ら選んだ思想であり、生き方なんだと思う」

 こうした言葉からはっきり読み取れるのは、戦後日本社会に対する太田さんの肯定的な視線であり、楽観主義だ。

 太田さんも読んだという「敗北を抱きしめて」の著者で、米国の日本史研究者ジョン・ダワー・マサチューセッツ工科大教授は、次のように書いている。

 「なんと多くの日本人が平和と民主主義の理想を真剣に考えていたことか! もちろん、平和と民主主義こそ、私自身の国がたたかい取ろうと努力している当のものにほかならない。日本人も私たちと同じ夢と希望をもち、同じ理想とたたかいを共有しているのだ」

 憲法を米国の「押しつけ」ととらえるのではなく、理想に突き動かされた日米両国の人々による「合作」と見る。そんな柔らかな見方でふたりには共通するものがある。

 憲法によって、私たちの社会は大きく変貌(へんぼう)した。

 男女の平等が保障され、だれもが選挙権をもつ。何を主張をしようと、どんな宗教を信じても自由であり、不敬罪や治安維持法などは存立しえない社会になった。天皇から国民へ主権が移り、国民が主人公になった。

 太田さんたちが評価するのは、この自由と民主主義の価値が憲法によって日本にもたらされ、さらには戦後社会に深く根付いたということだろう。

◇外交政策の十八番

 不思議なのは、憲法について否定的なことを言う安倍氏が、自由や民主主義の価値を語るときはうってかわって肯定的な姿勢に転じることだ。いまや、外交政策の「十八番(おはこ)」に使っている。

 「日本と米国は普遍的な価値を共有している」として、日米同盟の強化を言う。「共通の価値」を持つ豪州やインドと連携して中国を牽制(けんせい)する。NATO(北大西洋条約機構)とも連携する。総称して「価値の外交」とも呼ばれる。

 こうして首相が高くうたい上げる「価値」は、実はいまの憲法が日本社会にもたらし、国民が戦後60年をかけて培ってきたものにほかならない。そのことに安倍氏は気づいているのだろうか。

 この「戦後」と、首相が脱却を言う「戦後レジーム」とはどこで重なり合うのだろうか。「精神的に占領を終わらせる」と言うけれど、終わった時、どんな展望が開け、社会がつくられていくのだろうか。戦前的な価値を重んじる社会に戻ることにつながらないのか。

 「戦後」に問題がなかったわけではないし、憲法に改めるべき点があってもおかしくはない。しかし、憲法がもたらした自由と民主主義の価値は、発展させるべきではあっても、脱却するものでは決してない。

 首相は雄弁に改憲を主張するものの、9条改正以外に、目指すべき方向はほとんど語ろうとしない。だが、改憲を言うなら、まず「戦後」をきちんと語るのが先だろう。

 それなしに新しい「美しい国」へ誘(いざな)うのは、国民を惑わすだけだ。

~~~引用終了~~~

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2007年4月30日 (月)

国民投票法案 枝野議員の小沢批判は正論だ!

小生は、旧社会党の反日議員が跋扈する民主党は支持できませんが、民主党には反日議員しかいないというわけではありません。

そこで、たまには民主党の政治家を評価する記事も書こうと思っていたのですが、まずは枝野幸男議員から。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070428i214.htm

~~~引用開始~~~

民主・枝野氏、国民投票法案めぐり小沢氏を批判
 28日開かれた読売国際会議・日本国憲法施行60年記念特別フォーラムで、民主党の枝野幸男・憲法調査会長は、憲法改正の手続きを定める国民投票法案で与党と修正合意できなかったことについて、「責任は安倍首相と小沢代表にある」と述べ、小沢氏を痛烈に批判した。

 枝野氏は、自民党の船田元・衆院憲法調査特別委員会理事らと進めた修正協議が、最終段階で覆されたことを念頭に、「(自民、民主)両方で現場の議論を聞いていない人が余計なことを言う。それは向こう(自民党)だけと言うつもりはない。2大政党で政権を争う以上、自民党総裁や民主党代表らは次の選挙で勝つことを最優先
しなければいけない立場だ。そういう人が憲法にかかわれば、合意形成はできない」と述べた。

 さらに、「安倍首相対小沢代表(の構図)が続いている限りは、(憲法改正ができない)状況が続かざるを得ない。早く両党の党首が代わって、船田氏らと一緒に真っ当な憲法議論ができるような状況になることを期待している」とまくし立てた。

 また、「閣僚や党首を目指す政治家、生臭い仕事をしている政治家は憲法にはかかわるべきではない。しばらく私は憲法から離れる」とも述べた。

 一方、安倍首相が憲法改正を夏の参院選の争点に掲げたことに対し、枝野氏は、「参院選の争点にするという発言は明らかに迷惑な話だ。参院選の争点にすると言われたら、(憲法問題で)違いを強調しないといけない。だから自民党とは一緒に(憲法改正を)できなくなる」と強調した。

 公明党の赤松正雄・憲法調査会座長も「発言があるたびに、『言い回しに気を付けてほしい』と太田代表が(首相に)言っているが、あまり聞いて頂けない感じがする。ちょっと迷惑している」と不快感を示した。船田氏も「(首相を)擁護しないといけない立場だが、ちょっと言い過ぎだ」と語った。

(2007年4月28日22時46分  読売新聞)

~~~引用終了~~~

参院選目当てに与党案に反対する小沢一郎
読んでいただければわかりますが、枝野氏の指摘は極めて真っ当だと思います。

民主党の議員ですから、安倍首相にも責任があるかのようにいわなければならない面もあるのでしょう。

しかし、枝野氏が本当に批判したいのは、安倍首相ではなく、小沢一郎なのだと思います。

小生のイメージでは、小沢一郎という政治家は、ある程度、理念や哲学はあるようですが、それよりも権力志向が強く、政局を作り出してのし上がっていこうとする政治家のように思えます。

小生のイメージは別として、国民投票法案というのは、自民党と民主党が時間をかけて話し合いを行って、自民党も、民主党の意見を大幅に取り入れ、というよりも、民主党の長島昭久議員の言葉を借りれば、ほとんど民主党案が丸呑みされる形で推移していたのです。

http://blog.goo.ne.jp/nagashima21/e/ed00ad1f0e09cd1e81ea24cf421030dd

しかしながら、ほとんど民主党案が丸呑みされる形で出来上がった自民党案は、なんと、民主党の反対にあったのです!

こんな馬鹿な話があっていいのでしょうか!

なぜ、そんな馬鹿げた事態になったのか?

これまた長島氏によれば、

民主党執行部には、国民生活の喫緊の課題そっちのけで憲法改正に突き進む安倍政権の的外れを浮彫りにしようとの思惑があった

とのこと。要するに、選挙目当てだ。

http://blog.goo.ne.jp/nagashima21/e/aef5672e4e6e78bf64f5ccdd7c32e60b

民主党執行部は馬鹿じゃないのか?国民を、有権者を馬鹿にするなと言いたい。

民主党案をほとんど丸呑みした法案すら反対する愚かな政党に、政権を委ねるほど日本人は馬鹿ではないのだ。

こんな愚かな政党は、真に国を憂う保守層からは徹底的に嫌われるだけだ。そんなことで二大政党制が実現できるとでも思っているのか。

こんな愚かなことを繰り返していれば、民主党は衰退著しい左翼や労組とともに消滅していくだけであることに、なぜ気づかないのか。

というように、小生は民主党には激しい憤りを覚えざるを得ないのですが、枝野氏にしても、長島氏にしても、小沢執行部のやっていることが間違っていると、きちんと国民に訴えかける政治家が民主党の中にもいることは、評価できます。

もっとも、小生の意見としては、このような政治家の方々は、民主党を離党して、政界再編を目指すべきです。

小沢一郎の下で、旧社会党の議員と一緒に活動するのは、どう考えても無理があるのです。

蛇足ですが、民主党案を丸呑みした自民党案に民主党が反対したのに、自民党を批判したお馬鹿な新聞がありました。言わなくてもわかると思いますが、もちろん朝日新聞です。いつものこと言えばそれまですが、朝日新聞は事実はお構いなしで自民党を批判する、本当に腐りきった新聞だと思います。

枝野幸男議員とチベット
枝野氏には、もう一つ評価できる点があります。

枝野氏は、「チベット問題を考える議員連盟」の代表であり、ダライ・ラマ14世と会談したときに、中国の民主化について、「法王がチベットに戻り、自治を確立したときが民主化されたとき」と発言しています。

http://www.tibethouse.jp/news_release/2006/061111_edano.html

中共という侵略国家、人権侵害国家にもきちんと異論を唱える点は、もっと評価されるべきだと思います。

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2007年4月15日 (日)

国民投票法案 やっぱり出ました朝日の社説

国民投票法案が衆議院で可決されたので、どうせまた朝日が稚拙極まりない反日社説を書くのだろうなぁと思っていたら、早速、朝日のサイトに掲載されていました(青字は引用部分)。

意味不明のことを延々と言っていますが、要するに、言いたいことは、憲法を改正させたくないというただそれだけのようです。

~~~引用開始~~~

国民投票法案―廃案にして出直せ

 憲法を改正すべきかどうかを問う国民投票法案が、与党の自民、公明両党の賛成多数で衆院で可決された。憲法という国の大本を定める議論が、対決路線の中で打ち切られたのは不幸なことだ。

 長年にわたる護憲と改憲の原理的対立を経て、国会は具体的な論点にそって憲法論議ができる土台作りを進めてきた。

 そして一昨年来、改正論議に入る前段階として、自民・民主・公明の3党が主導して、憲法改正の是非を問う手続きである国民投票法の仕組みを審議してきた。法案に反対の立場の共産、社民両党も、審議には加わってきた。

 憲法改正の仕組みを決める今回の法案づくりは、できるだけ幅広い政党のコンセンサスをつくって進めるべきだ、と私たちは主張してきた。

 憲法改正には、衆参各院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が発議する必要がある。さらに国民投票で過半数の賛成が得られなければ、憲法は変えられない。高いハードルを設定したのは、憲法とは国のかたちにかかわる基本法であり、改正すれば、その後数十年にわたり国の政治を大きく規定するからだ。

 こんどの国民投票法は、そうした憲法論議に深くかかわる重要な法案である。憲法改正と同様に幅広い合意があってしかるべきだ。ある特定の時点での多数派の思惑や、単なる選挙目当てで進めてもらっては困る。少なくとも野党第1党の賛成を得ることがのぞましかった。

 2000年に国会に憲法調査会が設置されて以来、自民、公明、民主3党の議論は、政局をからめないように注意しつつ、公正中立なルールづくりをする路線を大切にしてきた。だが、7年の協調がこれで崩れてしまった。

 その責任はまず、選挙の思惑を持ち込んだ安倍首相にある。「憲法改正を参院選でも訴えたい」と争点化したからだ。戦後レジームからの脱却を図る安倍カラーを発揮する作戦だろう。一方、民主党側も、与党だけの可決という展開によって、参院選での攻撃材料を得た。

 ここで採決に踏み切った与党側にすれば、もう十分審議は尽くしたし、譲るべきものは譲ったということなのだろう。

 しかし、今回の可決は野党を硬化させ、実際の憲法改正の可能性はむしろ遠のいたとさえ言われているのは、皮肉なことである。

 法案には、メディア規制の問題、公務員の政治的行為の制限、最低投票率の設定など、審議を深めてほしい点がある。

 参院では夏に半数の議員が改選されるので、法案を継続審議にはできない。成立か廃案しかない。

 世論を見渡すと、憲法についてどうしても改正すべきだと多くの人が考えている論点は、いまのところない。

 時間は十分にあるのだ。参院は法案を廃案にしたうえで、参院選のあとの静かな環境のなかで、与野党の合意を得られるよう仕切り直すべきである。

~~~引用終了~~~

国民投票法は当然に施行されるべき
言うまでもないことですが、日本国憲法には改正の規定があります(96条)。しかしながら、今までは国民投票法が存在しなかったので、日本国憲法は改正することができませんでした。

憲法に改正規定がある以上、国会は直ちに国民投票法を制定・施行するべきでしたが、戦後ずっと放置されてきたのです。国会の怠慢でしょう。

朝日新聞は護憲派をもって任じているようですから、国民投票法の早期の制定・施行を求めなければならないはずです。それとも、憲法も96条は守らなくてもいいとでも考えているのでしょうか。

手続規定の整備に延々と時間をかける愚
憲法改正の仕組みを決める今回の法案づくりは、できるだけ幅広い政党のコンセンサスをつくって進めるべきだ、と私たちは主張してきた。
憲法改正には、衆参各院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が発議する必要がある。さらに国民投票で過半数の賛成が得られなければ、憲法は変えられない。高いハードルを設定したのは、憲法とは国のかたちにかかわる基本法であり、改正すれば、その後数十年にわたり国の政治を大きく規定するからだ。

国民投票法なんて、ただの憲法を改正するための手続を定めるための法律です。なぜ、延々と審議をする必要があるのか。

それに、憲法改正のハードルが高く設定されていることは関係ないでしょ。国民投票法をどのように立法しようとも、衆参総議員の3分の2以上の賛成で発議し、国民の過半数の賛成が必要であることに変わりはないのであって、安易な憲法改正がなされることにはならないのです。

それよりも、ただの手続法を制定するためだけに延々と審議する方が異常なのです。

もっとも、異常な新聞相手に異常と言っても意味がないかもしれませんが。

何の根拠があって野党第1党の賛成が必要なのか?
こんどの国民投票法は、そうした憲法論議に深くかかわる重要な法案である。憲法改正と同様に幅広い合意があってしかるべきだ。ある特定の時点での多数派の思惑や、単なる選挙目当てで進めてもらっては困る。少なくとも野党第1党の賛成を得ることがのぞましかった。

国民投票法はただの手続法なのであって、憲法の改正ではない。通常の法律と同様の手続で制定して何の問題があるというのか。

しかも、野党第1党の賛成が必要という朝日の主張は、国会を「唯一の立法機関である」とする憲法41条に明らかに反していますね。国会決議+野党第1党の賛成がないと立法できないという主張なのですから、護憲派が聞いて呆れます。それとも憲法は9条しかないとでも勘違いしているのではないのか?

それに、「ある特定の時点での多数派の思惑」で決めてはいけないということは、憲法問題に限らず、何一つ決めてはならないという意味ですよ。

あらゆる意思決定というのは、その時点での思惑によるものにほかならないですし、あらゆる多数決というものは、その時点での多数派の思惑にほかならないですから。

こんな簡単なこともわからないほど、朝日は頭が悪いのかと呆れ果ててしまいますが、こうした何となく聞こえのいい、でも空疎な迷セリフに引っかかる人が未だにいるということなのでしょう。

日本人はメディア・リテラシーを身につけないといけないと思いますね。

選挙目当てで反対しているのは民主党だ
 2000年に国会に憲法調査会が設置されて以来、自民、公明、民主3党の議論は、政局をからめないように注意しつつ、公正中立なルールづくりをする路線を大切にしてきた。だが、7年の協調がこれで崩れてしまった。
 その責任はまず、選挙の思惑を持ち込んだ安倍首相にある。「憲法改正を参院選でも訴えたい」と争点化したからだ。戦後レジームからの脱却を図る安倍カラーを発揮する作戦だろう。一方、民主党側も、与党だけの可決という展開によって、参院選での攻撃材料を得た。


安倍首相が選挙目当てで国民投票法の制定を急いでいると断言していますが、選挙目当てで反対しているのは民主党なのです。

民主党は、例えば鳩山由紀夫も憲法改正には積極的ですし、改憲派の議員はたくさんいるのです。

だから、本当は国民投票法が必要なことなど十分に理解しているのですけど、夏の参院選があるので、自民党との違いを有権者にアピールしなければならないから、民主党案以外は反対などと馬鹿げたことを言っているのです。

そもそも、7年も時間を費やして、たかが手続法すら制定できないとしたら、その方がよっぽど異常なのです。この異常事態の責任はどう考えても民主党にあります。

憲法改正は賛成派が多数派
世論を見渡すと、憲法についてどうしても改正すべきだと多くの人が考えている論点は、いまのところない。

読売新聞の世論調査では、憲法改正賛成派が多数派なのですけどね。

朝日がいくら反日世論工作を試みても、いつまでも騙されるほど日本人は馬鹿ではないということ。

そろそろ稚拙極まりない社説はやめにしてもらいたいものです。

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