秋葉原事件の続きです。
■責任と原因の違い
まず、指摘しておきたいのは犯罪の“責任”と“原因”は違うということです。
責任というのは、難しく言えば非難可能性という意味であり、平たく言えば誰が悪いのかという話であって、善悪という価値判断を含んだ概念です。
これに対して、原因というのは犯罪という結果をもたらした要因という意味であって、善悪の問題ではありません。
小生は、この事件の“原因”に関心があるのであって、“責任”について議論する意図はありません。
責任=誰が悪いという話であれば、犯人が悪いに決まっているのであって、ここで犯人を罵倒しても何の意味もありません。何も言わなくても死刑になるに決まっている事件なのですから。
しかし、原因については、きちんと考えておかなければなりません。同種の犯罪が繰り返されるおそれがある…というより既に繰り返されているからです。
原因について議論すると、“悪いのは犯人だ!”“人のせいにするな!社会のせいにするな!”“犯人に同情するのか!”“被害者・遺族の気持ちがわからないのか!”などと批判されますが、的外れです。
そういうのは“責任”についての議論であって、“原因”についての議論ではないからです。
きちんと“責任”と“原因”を区別して対策を立てないと同種の犯罪を防げないのであって、そうであるにもかかわらず、“原因”についての議論を封殺し、“犯人を死刑にしろ!”“人のせいにするな!社会のせいにするな!”などと正義面して騒いでいる人、小泉・竹中が悪い!などと喚いている人は、同種犯罪の防止を邪魔しているという意味において、次に起こる無差別殺人事件の共犯ですらあると考えています。
■これはアノミーなのか?
前置きが長くなりましたが、今日は秋葉原無差別殺人事件の原因について無い知恵を振り絞って考えてみることにします。
この事件は報道でしか知りませんが、この犯人の言っていることを聞くと、ふと“アノミー”という言葉が思い浮かびました。
そこでウィキペディアで“エミール・デュルケーム”を検索してみたのですが、学術書をまとめたようなことしか書いてないですね。
仕方がないので、小室直樹氏の著書をもとに説明しますと、アノミーというのは一般的には無規範と訳されますが、無連帯という意味だそうです。
自殺について研究したデュルケームは、不況の時に自殺する人がいるだけでなく、好況の時にも自殺する人がいることに注目しました。不況で食えなくなって自殺するのはわかるが、豊かになって自殺するのはなぜなんだ?といったところでしょうか。
そしてその研究の結果、連帯が失われることによって自殺するのだとわかったのです。
これはどういうことかというと、例えば、貧しい暮らしをしていた人が好景気で一発当てたとします。すると、今まで付き合ってきた人とは価値観から金銭感覚から異なってしまって、こうした人たちとの連帯が失われます。
かといって、もともとお金持ちだった人からすれば、成り上がりにすぎないのですから、こうした人たちと連帯することはできません。
かくして、事業で大当たりしてはたから見れば幸せそうな人であっても、社会との連帯が失われて(アノミー)、自殺するのだそうです。
要するに、アノミーとは社会との連帯が失われた状態であって、そうなると人は行動に規制が働かなくり、普通の人が狂ったように暴れだしたり、恐ろしい凶悪犯罪を犯したり、はたまた自殺したりします。
傍からみてると精神異常のように見えるのですが、アノミーは社会(学)の問題であって精神病ではありません。ですから精神科医に診てもらっても何もわかりません。こういう事件が起こると、テレビで精神科医がわかったようなわからないような解説をしますが、何の問題の解決にもならないのは、原因が精神病だからではなく、アノミーだからです。
■日本社会と連帯
日本にアノミーが蔓延した(という言い方は正確ではないと思いますが)時期があります。それは終戦直後です。
戦前の日本は天皇を国父とする擬似的家族国家であって、国民は天皇の赤子ですから、個人と社会との連帯(内面化された道徳的規範とでも言った方が正確かな?)がありました。
しかし、敗戦後、昭和天皇の人間宣言によって、このような連帯は失われてしまいました。
そこで、天皇(父)=国民(子)という連帯に取って代わったのが、一つには会社です。
会社では、営利を追求するという目的に向けて個人と個人が“連帯”します。このようにして戦後の日本人は会社人間になりました。
もう一つには、新興宗教です。(新興)宗教は同じモノを信じるので、そこには“連帯”が生まれます。戦後、創価学会が勢力を急拡大させたのも、昭和天皇の人間宣言によるアノミーが原因でしょう。
戦後のサヨクもその一つでしょうね。“アメ帝はんた~い!”“安保ふんさ~い!”などと皆で叫んでいれば、そこには“連帯”が生まれますからね。
小室氏が指摘している例で興味深いのは戸塚ヨットスクールです。
非行や家庭内暴力でまったく手がつけられなくて、精神科医に診せても何の異常も見つからなかった少年少女が、戸塚ヨットスクールにつれていくと、ピタリと矯正される。
小室氏の解説によると、これは、アノミーが原因で非行を繰り返していた場合には、命がけのヨットの訓練によってコーチと少年少女との間に“連帯”が生まれるから、非行がおさまるとのことです。
■秋葉原事件はアノミーが原因か?
それでは、今回の秋葉原事件はどうでしょうか?小生は、やはりアノミーが原因だと考えています。
犯人が書いたと思われる携帯サイトの書き込みはこちらです。
http://www2.asahi.com/special2/080609/TKY200806090216.html
要するに、今回の犯行の直接的なきっかけは失業ですが、注目すべきは単に職を失ったというだけではなく、派遣社員などの不安定な雇用のせいで、自分が使い捨てのコマのように扱われている=人間として扱われておらず、自分が社会には不要な存在と感じていることです。
上記のとおり、戦後の日本では会社が(社会学で言うところの)共同体になって、そこに連帯が生まれることによってアノミーを回避してきました。
しかし、バブル崩壊後の派遣社員などの非正規雇用によって、会社を通じた社会との連帯が喪失してしまいました。世にも恐ろしいアノミーです。
会社に正社員として就職することによってアノミーを解消してきたのに、正社員としては採用せず、安易に派遣社員などに切り替えたのですから、当然と言えば当然の結果ですが…。
今回の犯人も、派遣社員等の非正規雇用によって会社を通じた社会との連帯を見いだせなかったことが原因でしょう。
ちなみに、この犯人は誰かに止めて欲しかったなどと言っているようであり、身勝手なことを言うなと反発されていますが、これは“誰かが止める=社会との連帯の回復”という意味なのですね。
もっと言ってしまうと、目立つところで人を殺し、ワイドショーを独占したがるというのも、この犯人が(そうした歪んだかたちで)社会との連帯を求めていたということを意味しています(なんじゃそりゃ~!ふざけるな!と怒らないでくださいね。怒ったところで亡くなられた方は生き返りません。そんなことより、冷静に“原因”を分析し、対策を立てて同種の犯行を予防する方が大切です)。
今回の秋葉原事件に限らず、今の日本では驚愕すべき無差別殺人事件や理解に苦しむ自殺が横行していますが、かなりの部分がアノミーが原因ではないかと考えています。
特定の誰かを殺すのではなく、誰でもいいから殺すというのは、殺人の対象が個人ではなく、社会であることを意味しています。社会との連帯を喪失した人は、社会に対して報復することによって社会との連帯を回復しようとしているのでしょう。
そうであれば、犯人を死刑にするのは当然として(黙っていても死刑になるのだから、そんなことを議論しても意味が無い)、個人と社会との連帯を回復する方法を考えなければならないはずです。
戦前のように天皇(親)=国民(子)という関係を再構築するというのも一つの手段ですが、やはり派遣労働などの不安定な雇用形態を見直し、正社員を増やすのが最も即効性があり効果的だと思います。その他にも連帯を再構築できる方法があればどんどん実行すべきです。
それと、アノミー封じで連帯を再構築することは、同種犯罪の防止になるだけではありません。会社ともう一つの受け皿である“新興”宗教の勢力を削ぐことにつながります。消えて欲しいのがいくつかありますよね。どの宗教とは言いませんけど。
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