死刑制度に賛成!!
12月に死刑制度について2回ほど書かせていただきましたが、小生は死刑制度に賛成です。
http://nonki-nihonjin.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_76d5.html
http://nonki-nihonjin.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_2968.html
小生のブログでは、予想通りですが、賛成のコメントが多かったのですが、死刑反対派のお玉おばさんのブログで死刑制度について議論が盛り上がっているようです。
http://potthi.blog107.fc2.com/blog-entry-169.html#comment_list
http://potthi.blog107.fc2.com/blog-entry-170.html#comment_list
賛否両論があるようですが、小生はやはり死刑制度に賛成しています。小生がなぜ死刑制度に賛成するのか、一言で言えば、以前にも書きましたが、やはり“応報”という考え方を否定することはできないと考えるからです。
“応報刑論”というのは、犯罪という害悪を加えたから、加えた害悪に対応する苦痛を刑罰として科すという考え方です。わかりやすく言うと、“目には目を、歯には歯を”という考え方です(正確には違いますけどね。この点は後で書きます)。
これに対して、“目的刑論”という考え方があります。これは犯罪を予防するために刑罰を科すという考え方です。これには、一般予防論と特別予防論という考え方があって、特別予防論というのは、犯罪者に刑罰を科すことによってその者が犯罪を繰り返すことを予防するという考えであり、一般予防論というのは、社会一般に対し、犯罪者に刑罰を科すことによって罪を犯せば刑罰を科されることを示し、もって当該犯罪者以外の者が犯罪を犯すことを予防するという考え方です。
死刑廃止論者の方々には、“応報刑論”という考え方を否定し、刑罰については“目的刑論”のみで考える傾向があります。ですから、お玉おばさんのコメント欄の死刑廃止論者の方々は、“死刑の抑止効果…”ということをしきりに主張しているのですが、“応報刑論”という考え方を否定することはできません。
なぜなら、民主国家であれば当然のことながら刑罰制度も国民に支持され、納得されるものでなければならないはずですが、犯した罪に比して裁判所が軽い刑罰を言い渡した場合に国民の間から“刑が軽すぎる”という非難が起こるのは、国民の間に“応報”という考え方が支持されているからです。ですから、日本の刑事裁判においても“応報刑論”と“目的刑論”の折衷的な考え方で運営されているのです。
それでは、なぜ国民が“応報”という考え方を支持し、その結果として“死刑制度”も支持しているのでしょうか。これは殺人事件を例に考えればわかることです。お玉おばさんのブログのコメント欄で三輪さんが指摘されている通り、人の命は等価だからです。
殺人の被害者の命も殺人の犯人の命も人の命としては等しく尊重されるべきです。その尊重されるべき命を奪った犯人に対しては、その犯人の命をもって償わせるのでなければ、同じ命を等しく尊重したことにはならないのです。
ちなみに、こういうことを言うと、“それならばお金を100万円盗んだ者に対しては、その者から100万円を盗み返すという罰を科すのか?”などという反論があるようですが、これは“応報刑論”をきちんと理解しない反論ですね。
刑罰論に詳しくない方に応報刑論を説明する“便宜”として、“目には目を、歯には歯を”という考え方だと説明することはありますが、それはあくまでも説明のための便宜です。応報刑論が言っている“犯した罪の重さに対応する刑罰”というのは、“価値的に”等しいという意味です。
ですから、“目をつぶしたから、目をつぶし返す”のではなく、“目をつぶす”という害悪と価値的に等しい害悪としての刑罰を科すという意味です。説明の“便宜”の部分だけを取り上げて反論しても意味がありません。ちなみに、“人を殺した”という害悪と価値的に等しい害悪としての刑罰というのは、死刑以外にはあり得ないことになります。
このように、“応報”という考え方を否定することができない以上、死刑制度は存続すべきです。
死刑の抑止効果…などと言っている人は、その前に“応報”という考え方を否定できるだけの根拠をまず示し、次に国民の多数にそれを納得させなければならないはずですが、死刑廃止論者はそこまではできていませんね。
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コメント
私も死刑賛成派です。
国連では「死刑廃止」に向けるような
決議がなされているようですが
其々の国によって事情が違いますので
世界を一律にしようなどというのは驕り高ぶりであり、不遜です。
文化も精神性もまた、その犯罪内容も各国によってかなり違うのですから、国連が口を出すのは
理解に苦しみます。
「皆違って皆いい」とはサヨクが好んで使う、みすずの詩のフレーズですが、全くその通り、各々の国の考え方により決定すべき事です。
投稿: 翡翠 | 2008年1月 4日 (金) 午後 07時54分
翡翠さん
コメント、どうもありがとうございます。
日本では国連が錦の御旗にされてしまいますが、国連が何を言おうと、日本は主権国家なのですから、日本人が自ら正しいと信じる刑罰制度をつくればいいのだと考えています。
投稿: saratoma | 2008年1月 5日 (土) 午前 02時14分
私が各方面に投稿しているのと同じ内容を発信されているので心強く思います。
投稿: てとらぽっと | 2009年10月 4日 (日) 午後 11時17分
横浜地裁での裁判員裁判で後田勲被告に懲役19年の判決が出て確定した。この男は元交際相手を殺害したのだが、以前に(元)妻を殺害している。これがなぜ死刑にならぬのか。この弁護士が「前の殺人のことも考慮された量刑であろう。人は命をかなり重いものと考えているようだ」とか言ったそうだ。これで人権論者が殺人被害者の命を不当に軽くみてきていたことが、はからずも露呈した。二人殺しても死刑にならないとは被害者の命の重さは加害者の半分以下というわけだ。多分初めの殺人のときは、更生しろよとのつもりで死刑にしなかったのであろう。だが、結果を見れば更生などしなかったということではないか。お礼参り殺人の持田孝の場合も一人目の殺人のときに死刑にしておけば、JT職員の女性は強姦も殺害もされなかったはずだ。
投稿: てとらぽっと | 2009年10月19日 (月) 午後 01時21分