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2007年5月27日 (日)

極右は危険思想なのか? 極右の台頭と夏の参院選を考える

先週お約束していた瀬戸弘幸氏と維新政党・新風を応援する意義について考えてみました。

■極右は危険思想ではない
「極右」と聞くと、それだけで外国人を排斥する危険な思想なのではないかと思われがちです。極右は危険思想なのでしょうか。

結論から言うと、危険思想ではないと思います。小生は極右ではないので、最初は「極右評論」と聞いて、なぜ極右なのかと不思議に思いましたが、今では国家のあり方について徹底的に突き詰めて考えていった一つの政治理念なるのだと考えています。

この点については、まず国家とは何かを考える必要がありますが、現在の多くの国家は民族自決の理念に基づく国民国家なのです。民族自決とは各民族自分たちの運命は自分たちで決めようという理念であり、国民国家とは国民毎にまとまって国家をつくるという理念ですが、国民を一つにまとめ上げるために民族の概念が強調されました。つまり、一つの民族が一つの国民としてまとまって一つの国家をつくるということです。このように、民族‐国民‐国家というの一つの線で結ばれているのです。

そして、国民国家とは国民を単位として構成されるのですから、国民国家の役割は「国民」の生命や財産を守り、「国民」の生活や福祉を向上させることにあります。国民国家が国民を単位として構成されているのですから、「国民」と「国民以外の者」を区別するのは当然です。国民国家は、「国民」の利益を追求することが第一の使命であって、余裕があれば「国民以外の者」の利益を擁護することもありますが、「国民」そっちのけで「国民以外の者」の利益を追求することは許されないのです。

このように見てくると、極右というのは外国人を排斥する危険思想ではなく、国家のあり方に忠実な政治思想であることがわかります。つまり、国民国家なのですから、まず国民の利益を第一に考えるように国家に要求するのが極右なのです。

例えば、極右は移民に反対していますが、これは国民が失業に苦しんでいるのに、移民=外国人労働者を受け入れれば、外国人労働者にとっては職を得る機会が付与されることになりますが、失業している国民はますます苦しむことになってしまいます。このような、「国民」そっちのけで「国民以外の者」の利益を追求することに反対するのが極右なのです。

これが危険思想なのでしょうか。小生には危険思想ではなく、国民国家という国家のあり方を徹底的に突き詰めていった政治思想のように思えます。

■左翼の幻想に過ぎない国家死滅
戦後の日本人は、国家死滅という左翼プロパガンダの影響のせいでしょうか、民族自決とか国民国家などというのはもう古くて、民族や国民、国家という枠を超えた連帯などという主張に惹かれがちですが、今でも民族や国民、国家を超えた連帯などというのは左翼の幻想にすぎないのです。これは、国家死滅を謳っていた中華人民共和国を見ればわかることです。

中華人民共和国は、国家死滅を謳っていたはずなのに、平成17年の反日デモを見ればわかるとおり、いつの間にか危険な反日ナショナリズム国家になってしまいました。

先日も温家宝が国会で演説をしましたが、その時も「中華民族」という概念を妙に強調していました。中華民族というのは、支配民族である漢民族と被支配民族であるモンゴル族、チベット族、ウイグル族などの少数民族を構成されているとのことであり、要するに、漢民族と少数民族を統合した中華民族という一つの民族が中華人民共和国という一つの国家をつくろうというのですから、民族自決の理念に基づく国民国家になってしまっています。

国家死滅などというのが所詮は左翼の幻想にすぎなかったことは、中華人民共和国を見れば明らかです。

ちなみに、中華民族という概念は、モンゴル族やチベット族、ウイグル族が独立国家をつくることを否定するための概念でもあります。

■日本でも極右は台頭するのか?
日本でも極右は台頭するのでしょうか。小生には、その可能性が十分にあると思えます。今の日本では、「国民」そっちのけで「国民以外の者」の利益が追求されているからです。

例えば、国内問題では、先ほどの外国人労働者の問題もありますが、在日の問題があります。在日は、「国民」ではないのに「国民」と同じ権利が自分たちにも保障されて当然であるかのように主張していますが、それはまったくおかしな話なのです。

「国民」と「国民以外の者」に同じ権利が保障されることなどありえない話です。とりわけ、参政権を国民以外の者にも付与するなんて、とんでもない話です。国民国家は国民で構成されているのですから、構成員でもない者に、参政権というこの国の運命を決定する手続に関与する権利なんて認めてはならないのです。

参政権にしても、年金や福祉にしても、「国民」と「国民以外の者」では、保障される権利が違って当然ですし、そもそも「国民以外の者」にまで国民国家が責任を負う理由なんてないはずです。

年金や福祉などのいわゆる社会権は、国家が自国民に対して保障すべき権利なのですから、そんなに年金や福祉が欲しければ、韓国か北朝鮮にでも要求すべきであって、日本に要求するのは筋違いでしょう。

しかし、日本の政治家は、在日の不当な要求が、あたかも正当な権利主張であるかのように擁護し、今では在日参政権に反対しているのも自民党くらいなものです。

国民そっちのけで在日の利益を追求する政治家のなんと多いことでしょうか!

外交問題では、特アの問題があります。この国には特アに卑屈で、媚を売る政治家があまりにも多すぎます。

特アにちょっと凄まれれば、自虐史観に呪縛された愚かな政治家や官僚が、捏造された「過去の犯罪」をカネで贖おうとします。中共に対する信じられなくらいの巨額のODA、遺棄化学兵器問題、日韓国交正常化の際の巨額の経済援助、樺太残留韓国人支援問題などなど日本の利益になるとはとても思えないカネが特アのためにばら撒かれています。

これも、政治家・官僚にきちんとした国家観と歴史観がないが故に、国益を考えずにただひたすら特アにカネをばら撒いているだけであり、その姿は日本の政治家・官僚というよりも、あたかも特アの代理人であるかのようです。

「国益」よりも「特ア益」を追求する政治家のなんと多いことでしょうか。

このように、この国には「国民」そっちのけで「国民以外の者」の利益が追求する政治家があまりにも多いといわざるを得ません。日本でも極右が台頭する可能性は十分にあると思います。

■瀬戸弘幸氏と維新政党・新風を応援する意義は何か?
小生は、安倍首相(と麻生外相と中川政調会長)を支持していますが、それでも瀬戸氏と維新政党・新風を応援する意義はどこにあるのでしょうか。

まず、瀬戸氏や維新政党・新風の考え方は、国家観や歴史観という基本的な価値観から、外交・安全保障や在日問題、同和問題など小生は大変共感していますし、安倍首相の掲げる「戦後レジームからの脱却」と通じる部分もあると思います(より徹底させたという方が適切でしょうか)。

今まで保守層が政治家に言って欲しかったのに誰も言ってくれなかったことを、はっきりと主張しているのですから、大変貴重な存在だと考えています。

安倍内閣に期待をもてない保守層も少なくないようですので、こうした有権者から支持されそうです。

自民党と票が割れることも懸念されますが、上手く棲み分けることにより、トータルでの保守勢力の議席が一議席でも多くなることを期待しています。

次に、今の自民党は公明党と連立を組んでいますが、公明党こそ特アに媚びる政党であり、特アの代理人のような政党なのです。ですから、安倍首相がいくら自らの信念を貫こうとしても、公明党と妥協しなければ法案は成立しません。

公明党は集団的自衛権についても反対していますし、9条改憲にも反対です。公明党は「加憲」などと言っていますが、要するに9条護憲なのです。

このような政党と連立を組んでいる以上、自民党は公明党に妥協・譲歩せざるを得ないでしょう。

しかも、自民党内にも媚中派(特ア派)がたくさんいます。自民党媚中派(特ア派)と公明党が連携して国益を損なう政策を実行しようとするかもしれません。民主党や社民党などの野党はもちろん媚中派(特ア派)がほとんどであって、国益を特アにばら撒く政策には反対しないでしょう。

このようなときに、誰が政治を正すことができるのでしょうか。

もしも、瀬戸氏や維新政党・新風が一議席でも確保できれるのであれば、国益よりも特ア益を重視する政治家に対する牽制になりますし、安倍首相が必要以上に妥協しそうになったときに、正しい道に戻す貴重な役割を果たすことができるのではないでしょうか。その意味でも、大いに期待したいところです。

もちろん、自民党が単独過半数を確保すればいいのでしょうけれども、現状ではそれも難しそうですし、自民党内にも特ア派がいるので、自民党外に特ア派を牽制する政治家が必要だと考えます。

しかし、維新政党・新風にも問題はあると思います。

例えば、瀬戸氏は「極右評論」においてテロや暴力との決別を宣言しています。ご自身の過去を明かされた上での決別宣言でしたので、その決意偽りはないと小生は受け止めました。

しかしながら、鈴木信行氏のブログでは、愛国川柳として明らかにテロや暴力を賛美するものが紹介されています。これでは、せっかくの瀬戸氏の決別宣言が台無しではないでしょうか。

もちろん、鈴木氏や党の見解ではないのでしょうけれども、このようなものをブログに掲載していること自体、テロや暴力を容認するものと批判されても仕方がないのではないでしょうか。

これから極右が台頭するにつれ、朝日新聞などの左翼メディアの攻撃が増えてくるはずです。おそらく「危険な極右」というレッテル貼りをしてくることでしょう。朝日は、火のないところに煙を立てるどころか、“従軍”慰安婦問題を見てもわかるとおり、火がなければガソリンをばら撒いて、煙を立てるどころか大火事にしてしまうような連中です。もっとも、“従軍”慰安婦問題では自らも大火傷を負ってしまいましたが。

それはともかく、何を言い出すか本当にわからない新聞なのですから、テロや暴力を容認するかのような愛国川柳は朝日に悪用されるだけですし、そうでなくても、せっかく維新政党・新風に関心を持った国民の支持を失うことになりかねません。

小生には、現在では既存の右翼も左翼も国民の支持を失っているとしか思えません。このような既存の右翼とは一線を画し、テロや暴力を排除し、常に国民とともに歩まなければ衰退するしかないでしょう。国政は国民のものなのですから。

小生は、維新政党・新風には、既存の右翼とはまったく違う、ネット時代の新しい極右政党になっていただきたいと考えています。

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コメント

>鈴木信行氏のブログでは、愛国川柳として明らかにテロや暴力を賛美するものが紹介されています。

読んだことがないので伝聞情報だけで批評するのは気が引けますが、右翼と呼ばれる方々はほんと考えてほしい。社会常識と逸脱するような政治運動をすると、保守と呼ばれる政治家への印象も悪くなるということを。

投稿: fuyuneko | 2007年5月28日 (月) 午前 08時41分

維新政党を極右とは言わないと思います。一人必殺と言われた事も有りませんし、中華・韓国・北朝鮮と近所を見て圧政・暴力・政治手法を比べても「極右」とは云えないでしょう。
日本人として感じることを口にすれば極右に成るので有れば、国家を語れば「極右」、日の丸「国旗」を語れば極右、君が代国歌を歌えと言えば「極右」、韓国・北朝鮮・中華を悪く評価すれば極右、悪い事を悪い事、批判すべき事は批判すると極右、こんな当たり前の事を「極右」と言われれば小生も「極右」に成るかも判りません。
プロ右翼?スピーカーで大声を出す、音楽を流す、アジテーターで政治的な目的が何なのかが判らない「右」?らしき人達とは違うと思いますので、国際的な見地から見ても普通の政党では無いでしょうか?
***維新政党が鈴木氏の「愛国川柳」にテロ・暴力を賛美、維新政党が容認するので有れば国民の支持は得られないでしょうし、国民の判断材料にはされます。

投稿: 爺 | 2007年5月28日 (月) 午後 05時55分

極右が、民族自決を理念とする国民国家を達成するためのまっとうな思想であることはその通りであると思います。
しかし、その台頭となると疑問を呈せざるを得ません。瀬戸さんが決別宣言したとしても、一般の人間は、極右=テロや暴力を容認する勢力とみなしている節があります。極右という言葉及び歴史的な事象による摺り込みの結果と思いますが、いかんともし難い一般人の皮膚感覚です。
従って、極右は台頭はしないと思いますが、微力たりといえどもその存在において一般人の覚醒を促す起爆剤にはなりうると思います。
むしろ、私が従来より主張しているように、現実の政界のねじれ現象をすっきり解消するための政界再編成が必要です。
売国奴的政治家は断然排除して、愛国者保守と愛国者リベラルというような二大政党にし、何でも反対のようなことをせず、真摯な議論のもとに、一致団結して国民のための政治を行って欲しい。

投稿: 諦観 | 2007年5月28日 (月) 午後 09時05分

fuyunekoさん
コメント、どうもありがとうございます。
愛国川柳はご本人のものではないのでしょうけれども、掲載している以上は、掲載する価値があると判断しているということでしょうから、やはり批判は免れないと考えます。
瀬戸氏がテロや暴力との決別を宣言したのですから、維新政党・新風も同じ道を歩んで欲しいと思います。

投稿: saratoma | 2007年5月29日 (火) 午前 02時20分

爺さん
コメント、どうもありがとうございます。
維新政党・新風は理念や政策には共感できる部分が多々あるので、それを広める方法についても考えていただきたいと思います。

投稿: saratoma | 2007年5月29日 (火) 午前 02時23分

諦観さん
コメント、どうもありがとうございます。
おそらく、瀬戸氏への支持が広まれば、朝日あたりが「極右は危険」というレッテル攻撃を始めるはずなので、先回りして批判してみました。
理念や政策はそのままに、極右という看板だけを取り替えるのも一つの選択肢ではあると思います。
小生も、諦観さんと同じように、政界再編成が必要だと考えています。小生の意見でも、保守と中道の二大政党に極右などの政党がいくつか存在するのが理想だと考えています。
極右は主流にはならないと思いますが、ある程度の勢力を確保して、保守がブレたときに正しい道に戻したり、100年に1度という国難に命懸けで立ち向かうのは、やはり極右ではないかと考えています。
売国政治家は徹底的に排除すべきですが、国民のメディア・リテラシーの欠如で、売国政治家が当選してしまうのが問題だと考えています。

投稿: saratoma | 2007年5月29日 (火) 午前 02時32分

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